自他のアイデアをものにするために。

施術家が何十年もかけ作り上げた技術。
フロンティアスピリットで、
人が思いもよらない分野から構築した。


そのような技術を学び取るには、
かなり難儀するものです。


先日、施術をなさっておられる方が、
とある繊細な見方をして気を読むような整体の研修を受けてこられたとのこと。


そちらで講習を受けたとき、
眼に見えないほどの繊細な感じる力が大切で・・・
と力説しておられたといいます。


必死にそう語られるのだからそうなのでしょう。


でも、そう説かれても、現状の自分には、
そのような精緻な感覚は持てていません。


私はその講習を受けたことはありませんが、
やはり同様に戸惑うシーンが多々あるでしょう。


そのような繊細な感じる力は伝授されるものではありません。
そこは、他人頼み、先生頼みをしていてすまされるようなものではありません。


先生サイドでは、そのことは百も承知で、
じっくりと取り組んでみてほしいという
情熱的なメッセージが込められている。


そのように思えますが。



やはり『ここがわからないと、すべてが整わない』という大前提である感覚。
そこを現状持てないときに、その場にいてというのもいたたまれない気持ち。


周囲の古参会員たちがわかった雰囲気で頷いている姿を見て、
「あぁ〜〜、わからないのは私だけなのかなぁ」
とひたすら焦りだすはずです。


施術をするときには気の作用を重んじましょうなど、
このコアになる大事な部分をアイデアとして発想したとき。


すでにできているものをみると、
あたかもその成功が一発の大きなアイデアを得て生まれた。
そのように目に写り、それを真似しようとすると思います。


ただ冷静に見つめる目があれば(私の推測ですが)、
その大事なアイデアにたどりつくまで紆余曲折の後に得た。
簡単に一発で、パッカーンとひらめいたわけではないはず。


イデア力のある人ほど、小さなヒントを活かしています。


小さいヒントからアイデアを生み出し、
その小さいものを10も100も1000も集めていくと、
その末にたどりついた大技が、その施術流派の大前提です。


そこに至る証拠付けされたアイデアがあったから思いついたものです。
そこをシンプルに語られて解説をされたとしても、
シンプルに削ぎ落とした際に、すでに別物である。


それだけでは道理として真似できる域までたどり着けない。


表面にあらわれている部分を
そのまま真似をしようとしても、
底が深い沼にはまったかのようです。
ぬらぬらしてかっちりと捉えにくい。
カチッとはまった感がないと、
気持ちが悪くて使い物にできません。



ただ施術技術は人間が生み出したものです。


生み出すきっかけになっただろう元ネタをかき集め、
そちらを自分なりに分析し構築していくならば、
おそらく「な〜んだ。そういうことね」となる。
そこの手間を惜しむかどうかだろうと思います。


これは日頃から
小さいヒント、アイデアを、日頃からメモをとる人。
そしてそれをときどき見なおして、
実行する行為から学び、
そこを新たはヒントで、
改善改良をしていく。


その癖がついている人ならば、
取り組みやすいでしょう。
イデアを自作できる人は、
他人のアイデアの生まれでた要領がわかるので勘が働く。


大きなアイデアにたどりつくのは、
小さなヒントの積み重ね延長線上。


そのようなことですから。


大きなコアになるものを、
ぽ〜んと投げてこられたときには、
受ける準備がなければ受け取れません。


その時点でわからなくても、
理解するためのアプローチ方法を精査していくなら、
やがてはわかるものです。
ただそこには技術の製作者がしたプロセスに踏み入ることも、
ときには必要なのではないかと思います。



その準備が、日頃の小さなヒントを集める姿勢だと思います。


施術家もそうですし、その他の職人さんたちもそうですが、
動作や観察に一挙手一投足に工夫をした末のことですから、
道理がわからず外見を真似ても同じ成果が現れません。


そこは一般の方々が施術を観るとき
施術の成果を観てすごいと感じると思いますが、
施術をするものは、
施術中の者の一挙手一投足で判断します。


成果や結果は、その一挙手一投足の、
プロセスの後に当然導き出される。
ただ、それだけのものです。


「プロセスの詳細」は改善できる余地があり真似て意味はあるが、
「結果」を改善するということは論理的に外れた言葉ですから。


日頃、施術をする実務家は、
大きな技術を一気に盗めるなど思いません。
他者の小さな一挙手一投足から技を盗もう!
その盗んだ小さなヒントを十分に貯めたら
それこそ大きな技術をもらえたことになる。


そのような、
大きなレンガ造りの教会を建てるときに必要な、
ひとつひとつのブロックを集めようとします。
観なければならないところが違ってきます。




優秀な施術技術を語るテキストに書かれているのは、
多くが小さなアイデアから構築されたあとの成果物。


美味しく真似られない書き方をされる本も多くて。。。


それは煩雑になるからと省略された、
出がらしのだしパックのようなもの。
そう私には感じられてしまいます。


だから、
本のタイトルに『 整体のすべてを伝えます〜 』
と言ったものに騙されてしまうのはもってのほか。 ^-^


私にとって大事なところは、
重要項目が網羅されていることではありません。


技術の創造をしていかれた過程がわかる本です。


誠実な著者は、
こてこてと一般の人がみたらすっきりしないようなところを、
ごちゃごちゃとコメントしてくれたり、
付則を設けてくれたりするものです。


一見すると論旨から外れたことを語っていそうな文が含まれていますし、
とても読み進めるのに煩雑で、理解するにも苦労の連続のようなものも。


そこに著者が積み上げてきた大きなアイデアを生み出したヒントがあり、
そのヒントを丁寧に読めば誰だって大きなアイデアに近づける道標です。


施術の本ではありませんが、
私は野口体操の、野口三千三先生が書いた著書が、
そういった意味での名著に思えてなりません。

原初生命体としての人間 ― 野口体操の理論


本当にこの本は、体の捉え方で何度読んでも発見するところが多く、
目から鱗が落ちること数多あります。