『五臓六腑自身を知れ』

このブログを読んでいただきたい方:

■ 中医学の勉強をしている者ってどういう視点で臓器を観るのかという一例を知りたい方

■ 私があとで読み返します!



個人的な話で恐縮ですが、
最近『汝自身を知れ』というソクラテスの言葉が、
目につくことが重なりました。

自分の心身を通して「正体」を観察した後に夜明けがあらわれることを説いた言葉に感じられます。


自己啓発書を読めば、時折引用されていますが、
施術をするものには、別の意味で感じ取れます。




数日前にこちらのブログで、
肝臓が問題が出ると眼に現れるといいました。


その理由に、

『肝臓』の役割の一部には

(1)血を肝臓内部にストックする機能【蔵血】
(2)肝臓内の貯血された血液を、スマートに必要ある臓器へ適量を送り届ける作用【疏泄作用】
などがあります。



全身をめぐる血液の三分の一もの量は、
脳へ運ばれ血を大量に消費します。
ただ、脳内へ十分な血流があるかは外見からはわからない。
目は脳の出先機関、または脳が外部へ露出したものといわれるもので、
脳と同様に多量の血液を消耗させ機能を維持しています。
それゆえに肝臓の働きに異常があれば、目に送られる血液の量が減少する結果が現れてくる。
その現状は脳に送られる血液量も減少している意味を含んでいます。
同様に他の臓器や器官にも。。。

目の見方を知り観察すれば、
これで知りたい情報の一端がつかめます。
目の状態だけで拙速に判断するのは危険なので、
他に脈をみたり舌をみたりしていくことで、
いくつもの肝機能が気になる未病があるとされる状況が見て取れるかどうか。
判断材料として必須情報の量を増やしていくのです。


女性が出産後は、多量の血液が失われるため、
眼に負担をかけてそれ以上の血液の消耗をさせないため、
産後は本などは控えめにといわれますよね。

産後に体内の血液総量が減ったところに目を使い過ぎてしまうと。
肝臓にダメージが与えられ傷害となれば後々まで持ち越されます。。。
かなりこれがやっかいなことでして、
それは避けるようにという意味です。



話はちょっとそれるのですが、
今日、テレビの羽鳥慎一モーニングショーをみていて。

オミクロン株のため検査キットが大量に必要とされ、検査キットのメーカーは増員体勢でがんばっておられるそうです。
メーカーがつくった商品は、取次に送られ保管され、薬局等からの注文により発送する仕組みです。
平常時は十分な量の検査キットが保管されていた取次店で、注文があればすみやかに対応できておりましたが、
オミクロン株が流行して検査キットを欲する人が増すにつれ、取次店もメーカーからの入荷待ちになって在庫が空っぽ。
それでは出荷できません。

私が肝臓の血液をマネージメントする機能をイメージしたとき、
肝臓は血液という商品を受け取って、一次的に貯めておく取次店のようなものだと感じていました。


脳内で肝臓と取次店の具象化したイメージが強すぎて、
取次店に物がない状態が、肝臓に血がない状態が勝手に連想されて身震いしてしまう。
肝臓に血のストックがなくなれば、目にもその危機的状況が表出して見て取れるのかもしれない。。。
そうなったら「病症」です。

ゆゆしき事態だと、その光景が目に浮かびます。
このような場合は、消費が著しく跳ね上がり取次店のストックが枯渇し、
あとはメーカーから入るのを待つしかない状態です。
というと、取次店が問題だというよりも上流の血を作るところが問題なのか。。。

深刻です。

人体で言えば、
骨髄等で造血するも固摂作用が崩壊したかのような状況となり血の生産が追い付かない的なことでしょうか?


そして不思議に感じますが、
実社会で起きている取次店の役割が果たせない事態と同様な相似する現象が、
体内でも酷似して起きることがあるのです。
それはなぜか神のいたずらかと思えるほど。


中医学は、五臓六腑の解剖学図譜に描ける実態をもつ臓器以上に、
それぞれの臓器が持つ働きに注目しています。
臓器は、それぞれが自分の持てる機能を存分に働かせて、
各々は連携をもって人体を支える働きを執り行います。


繰り返しますが、解剖学図譜に描けるものじゃない、
そんなところに注視することで、そうしたそれぞれの臓器の担当する働きが果たせるかどうか。


体の中の五臓六腑。
たとえば肝臓は「(血液の)取次店」という具合に例えればいいでしょう、
他の臓器も実社会の店と似通った役割をもって、働きを遂行しています。
それぞれが歯車となりかみあいよく、動く。
その姿が健康体です。


いつまでも健康体でいてほしい。
そのような願いがあります。

でも現実問題、うまくいかないときもあります。
あなたも私同様に、日々、がんばっていると、ついがんばりすぎて。
ストレスで疲れたり不調をきたすこともあるでしょう。

それと同様に臓器の働きも一つの臓器、または複数名が疲れ果て、
働きにブレーキがかかり停滞することもあるでしょう。

そのような事態に陥ったとき、心身ともに必要なだけの休息が必要です。
その働き手といえる臓器が好物な生薬を薬膳としてねぎらうこともいいでしょう。

眼を閉じて、
自身の内部に確実にいて生物として生き続けられるよう支える者(臓器)へ、
感謝の気持ちを言葉を送る。

そうすべき存在が身近どころか体内に散らばっているのです。


そこからは健康の持続性を高める気づきをあたえてもらえるでしょう。


中医学がわかりたければ中医学用語を言葉として覚えるのでは足りず、
中医学用語を見たときに右脳で臓器の働きをイメージが勝手に現れるほど親しむと。
それぞれの臓器は実にユニークで、感情豊か。
ちょっと中医学の臓器の見方を知ってもそう思いますが、
おおいに中医学の臓器の見方を知ればそれらは語りかければ言葉をかえしてくれる。
そのような存在。(←私はまだまだ。そこまでいくには、道のりがあります)

中医学の勉強は、記憶量が多く本から平たんな情報を言語で納めることに終始して、
それでは臨床でつかえないものにもなりかねません。
そこから離れるような学習の仕方が必要です。
イメージに、具象化に、工夫をするのも手でしょうか。



そうなる訓練することが中医学を学ぶ理解の前提にあるようです
【蔵象のとき】。


私ども施術をする者には、
汝自身を知れというのも、
汝自身の体を知ってから、その内部の枠組みと社会との相関、自然との相関と、イメージを膨らまして内外の世界をつなげよう。





最後に。

最近、前に買って積読していた『中医学ってなんだろう 1 人間のしくみ』という本を読み始めました。
いい本だな~っと、しみじみ感じます。