私が自分の脈が飛んだときに腑に落ちた「脈診を学ぶ安心感」

お客様から「脈が飛ぶんだけど、でも、そんな気にすることはないといわれた」とお話を聞いたことがあります。

実は私もいちどこっぴどい脈の飛びを経験したことがあったのです。

3年前、他界する前の母の看病をさせていただいた後のことでした。

体調が思わしくなく、年単位での休業を余儀なくされたころでもあり、
当時にしていたことといえば自宅で中医学の本を読み漁っていました。

そのころ私は鍼灸師の先生から月に2回ほど開催される脈診講座を一年かけて受講中でした。

そのときに講師から
「鈴木さん、地図状舌だから気をつけなさい」と、他の受講生の生身の病理サンプルと化し。
「鈴木さん、脈飛んでるね」と指摘されれば、また他の受講生の生身の病理サンプルと化す。

そのとき私は脈が飛ぶ状態を自覚していました。
講師が脈を飛ぶ瞬間を見逃さずに的確に指摘してくれました。
ですがそのときはまだ脈診講座の習いたてでしたから、
脈が飛ぶ意味についての解説はありません。

だから自身で本を読み、その脈状名やなぜそうなったかやどのような病気へと進展するかを調べました。

とにかく手足が冷たいんですね。
夏に手を洗うときでも、常温の水道水が冷たすぎて必ず湯沸かし器のお湯でしか洗えない。
足先も冷たくて靴下を重ね着していました。
胃の状態もかんばしくなく、消化不良を起こしています。
倦怠感がつねに感じられ、気鬱傾向にありました。

これらは深部の血に流れの異常が起きているのは道理ですが、
この状態がどうしてなったのかの理由やこれからどうなるかの推移は、
すでに頭の働きが停滞していた自分には正確な判断はできませんでした。



脈が飛ぶという状態をざっくり中医学で調べれば、
それは【結脈(けつみゃく)】と呼ばれている脈状です。

陰陽の陽の気が減り押さえつけられると、脈がゆったりに。
それが徐々にひどくなった結果、一時的に脈が止まります。
つまり緩慢化した脈がベースで、それがさらに悪化進行することで脈が不定期に飛び出すのですね。

陽の気が減るため陰に強さが増し陰実証とったもので、寒熱でいえば寒の状態に当てはまります。
または瘀血証(おけつしょう)という、血瘀(けつお)と呼ばれる状態がベースとなり、それが悪化した状態を指します。
鬱血や血行障害など、血の流れの滞るのが血瘀の状態で、そうした血行障害個所が生じることで暖かな血を全身に巡らせる阻害がでてきます。
瘀血証とは、体の表層に血行障害が起きたような初期状態から悪化が進行し、
身体の深部の血行が障害され流れが悪くなった状態をいいます。
するとカラダの芯が寒くてしょうがない。。。


実は一時的に身体上の疲労が蓄積しても脈が飛ぶことがあるんです。
それで回復力さえ保持しているのであればさほど問題なく、
本人が疲れすぎの自覚を持って養生をし、安静な時間を過ごせば回復します。

ですが、脈を診て遅脈、異常な寒さが体の芯を襲っているなら、
何らかの積極的な手を打つ方がいいだろうと思われます。
それは寒証で血瘀が過ぎれば、悪性新生物を体内で増やしてしまう環境にあるからです。

悪性新生物にも様々な部位にできるものがありますが、
その大半は血瘀が過ぎたという深部の血行障害が引き金になると中医学のほうでは言われていますので気をつけるとよいでしょう。
そのことはすでに中医学の本を読んで知っていたため、
結脈(けつみゃく)の末恐ろしさを感じていました。


ちなみにこの病症には、動悸・不安感・疼痛・気鬱などがあります。

治療には、瘀血証によるときは病が宿る部分に熱刺激等を与えて血行障害が改善するように手を打ちますし、
一時的に身体上の疲労が蓄積しても脈が飛ぶような実証のときは、補法ではなく、瀉法、補中の瀉、輸瀉などで対処します。





ちなみに私が3年前の当時、カンペキな瘀血証に陥っていたわけで、
どうやって復調できるかはわからなくて、
気持ちはかなり焦りがありました。

脈診の本で結脈に炙甘草湯・・・とありましたが、
「それって、いったいなに!?」とわけがわからず。

すでに消化器が血行障害の影響か気が廻らずに正常には機能していません。
でもとにかく体内の血行障害が進まないようにする食事に気を配りました。
それまで得てきた知恵や知識を複雑に自分仕様に組み合わせていくことで、
うまくいきましたが、、、。
もし結脈が「寒証」という知識がなければ、
間違った食材や生薬の選択をしていたかもしれません。
そうなれば、すでにもろくなった体は急速な悪化を余儀なくされます。

あとはベン石とネフライトをフルに使うホットストーンが助けてくれました。

血行障害の手当てにはベン石を持って熱を病床に向けて挟み込むようにして照射し邪気を正気にというのが得意ですが、
すでに消化器に対しての機能障害が症状として表出してきておりました。
するとベン石のテリトリーを逸脱した部分がでてくるわけです。
そんなときにネフライトは臓器の賦活にいいとされ、これをフル活用。
ネフライトが腎によいというのは迷信だと思うのですが、
そうした迷信も素直に聞きたくなる気分で腎にそれをあてがっていき、
粘りに粘った末に腎気が取り戻せたので。
(※ネフライトは科学的な健康に対しての効果効能の研究がなされていないため、用い方が個人の経験則になりますが、体験的に不思議なパワーを秘めた治療石の筆頭だと考えています)
腎機能が徐々に状態の安定しはじめたときに、手足の冷たさがその改善に比例して軽減されていくのがわかります。

血行障害が瘀血証で深部に至る場合、考えなしに運動療法をおこなうことは避けるべきだということは、
日頃、お客様からの話を客観的な視点でお伺いしてわかっていました。
瘀血証の状態で体調不良を持ちながら、それを押して動けば、さらなる血行障害が拍車をかけて襲ってきます。
バランス感覚がほぼ整わない状態で動けば必ず体内の深部にこさえた筋膜の癒着量が増すのが道理だからです。

自分で自分の脈を取り、脈の位置が浅いかちょうどか深いかや、脈管の硬さが柔和すぎやしないか、血液の量は適正か、血液の流れるテンポはどうか、などなど診ていけばいいのです。
それで、今日は運動は控えるとか控えめにとか、運動OK!とかがわかります。
脈状は、日々刻々と移り変わるのです。
どこか治療院で診ていただいた脈の状態とは、その場そのときその環境で現れたワンシーンで区切られたものす。
だからかえって治療院で診てもらった脈状のままで自分はいつづけているというのは危険をともなう勘違いです。
そこで得た脈状が現状の体調ではあらわせていないにもかかわらず、そこに引きずられると対処を誤ります。
当時に聞いた自分の脈状ではよいと考えてなしたことが、かえって体調悪化を呼び込むことがあるため注意が必要です。

脈診があたえてくれた自分自身の状態を検証的に理解できた分だけ、
心的に「本当にいま、運動して大丈夫なのか、悪化しやしないか」などの不安と恐怖が消えています。

それに基づいてフェルデンクライス・メソッドのATMセッションの音声を聞きながら、身体を復活させていった思い出があります。



おかげさまで、いまは以前にも増して元気に施術をさせていただいております。


昨日、とある出版社の編集のお客様からの質問でしたが、
「一般の方にも売れる占い本として、20ほどが上限で、それ以上は難しいよ。
中医学での証ってどれくらいあるの?」
といった内容のこと。
私としては覚えるのが20ほどであったらよかったのに、、、と感じつつ、
「一般の方には売れないかも。。。覚えることが膨大すぎです~」で苦笑されてました。
中医学診断法のなかには脈診や他のものでは師弟が技術をつたえられて得られるものがあり、
本だけで学んだだけでは「脈をとるときの手の置き方っていいの?」レベルからの丁寧な伝承がないと使いこなせるまでにはならないものです。


でも、すでにある知恵に関心を持たれる方が増えて、
自己の健康を守る戦略の一助に脈診のある程度くわしい知識を得る機会がでてくればと期待するところです。