書籍紹介:『乾くんの教えて!四診 (上巻) 』 望診と聞診について知りたい初学者のかたや私にぴったりな、全編カラーでわかりやすいイラスト多数の良書です!

こんにちは。
ボディワイズの鈴木です。

中医学の診断法『四診』に関する本は極力集めるようにしています。

高額な本もあって思うように手が出せないものもいくつもあるので、
すべては思うようにいくものではないにせよ、
100点ちゅうの60点をめざして資料を集めて精読へとつなげています。

そしてこの度。
ジュンク堂から買ってきた本。




乾くんの教えて!四診 (上巻)

石井 尊子 著
  A5判 並製 234頁 フルカラー
  定価:3,520円(本体3,200円+税)

カラー漫画で わかりやすく,面白く。第2弾!

■本書の紹介■
『乾くんの教えて!中薬学』で,中薬の性能・炮製技術・産地と採集などの事柄から中薬学の面白さを紹介してきた乾くんが帰ってきた!
今度は望・聞・問・切の四診を学べる物語。
上巻では,望診と聞診をテーマにした13話を収録。
これまで,文字のみで示されることが多かった中医診断学の内容を,ビジュアル化したことで,視覚的に理解を深めることができる。

目 次


登場人物紹介


■総論
 第1話 ご先祖さま登場!
  ●中医診断学の原理と原則


■望診
 教えちゃう!コラム① 体の精気は生命の炎
 
 第2話 天南くんとばあちゃん
  ●望診について
  ●望神について
   ―神を診る
 
 第3話 顔色を読む謎の男
  ●顔色を診る
   ―望色十法
   ―常色と病色
   ―五色善悪順逆
   ―五色主病
 
 教えちゃう!コラム② 変幻自在精気の分配
 
 第4話 体格体型十人十色
  ●体を診る
   ―体形を診る
   ―体型を診る
   ―姿勢や動作を診る
   ―体型と食事を診る
 
 第5話 夾竹桃の花咲く頃に
  ●局部を診る①
   ―頭顔部を診る
   ―首を診る
   ―髪を診る
   ―ひげを診る
   ―眉を診る
 
 第6話 ケバブにご用心!
  ●局部を診る②
   ―眼目を診る
   ―咽喉を診る
   ―唇を診る
   ―歯を診る
 
 第7話 中医学スゴイ~デス
  ●局部を診る③
   ―耳を診る
   ―鼻を診る
   ―下竅を診る
 
 第8話 姜黄くんがやって来た
  ●局部を診る④
   ―皮膚の色を診る
   ―皮膚の形態を診る
   ―皮膚の病形を診る
   皮膚観察ポイントのまとめ
 
 教えちゃう!コラム③ 源はひとつ臓腑の精気
 
 第9話 帰る薬ができたのじゃ
  ●局部を診る⑤
   ―小児の絡脈を診る
   ―爪を診る
   ―魚際を診る
 
 教えちゃう!コラム④ 日々こつこつ消耗と補填
 
 第10話 牌浙村を旅すれば
  ●排泄物を診る
   ―痰・涕・涎・唾を診る
   ―嘔吐物を診る
   ―血と膿を診る
   ―大便を診る
   ―小便を診る


■聞診
 教えちゃう!コラム⑤ 気の運動は永遠の循環
 
 第11話 教えて!崔軫さん
  ●聞診について
  ●音を診る①
   ―声について
   ―声音の疾病を診る
   ―言語の異常を診る
   ―呼吸の異常を診る
   ―咳嗽を診る
   ―噴嚔(くしゃみ)を診る
 
 教えちゃう!コラム⑥ 仲良く協調臓腑の気機
 
 第12話 中秋の月夜に響く音
  ●音を診る②
   ―噯気(げっぷ)を診る
   ―呃逆(しゃっくり)を診る
   ―腸鳴を診る
   ―嘔吐を診る
   ―呵欠(あくび)を診る
   ―太息(ため息)を診る
   ―子供の泣声を診る
   ―噛歯(歯ぎしり)を診る
   ―鼾眠(いびき)を診る
 
 第13話 ようこそ芳しき館へ
  ●臭気を診る
   ―汗臭を診る
   ―口臭を診る
   ―鼻の臭いを診る
   ―耳の臭いを診る
   ―排泄物と分泌物の臭いを診る
   ―病室の臭いを診る


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目次をみていただければ中医学を勉強なさったかたにはわかりますが、
「望診」と「聞診」にこの上巻は焦点を当てて書かれています。


私は中医学の勉強をするはじめのときに、
文章だけでは何をいわんとしているかが見当がつかなかったことが多々ありました。
そんなときに丁寧なイラストじゃなくていいから、
イメージが伝わって把握しやすくなるような絵や図があればいいのだが、、、。
そのように感じたことは多々あります。

実際のところすでに中医学に関して講習会等でわかりやすい講義をひととおり受けることがあればわかることも、
本の文章だけでは著者はわかってるだろうけど、初学者のこちらにしてみればちんぷんかんぷんということがある。
多少でも編集者がそういったところについて初学者の立場で語るように指摘をしていただければいいのですが、
大家の先生にそういったことをズバズバ言えるようなものではないでしょう。

結果、未消化のまま記憶することで、誤解を生じた内容が頭に定着していく。
あとになって本の精読ができるようになれば、そういった書籍に不足はないとわかるものの、
そこまで登っていこうとするものを、途中でふるい落としてしまうことになっているのかも。

そんな不遜なことを感じるほど読解基礎力がつかなければ、
文章から内容を読み下すことがむずかしい。


でも、このたび紹介させていただきました、
乾くんの教えて!四診 (上巻) 
全編カラー!
イメージがざっくり伝わって記憶しやすいイラストが多数!
だから、
ただ望診や聞診のデータを表や箇条書きでずらって並べられるとうんざりして記憶に遺す前に読みたくなくなるもの。
項目数が多岐にわたり、同時にそこから芋づる式に伸びる根が幾多に分かれている。
気をはって明日のテストに出ると暗示をかけないかぎり、文字を見て脳内でそれを絵に変えてみるまではしない。
つまり字面だけを把握した程度のことができるのが精いっぱい。

それがこの本なら、すでに場合分けされた結果についての場合をイラスト化してある。
だから自身の脳で絵に変えてそれを見て観察するといったてまは省くことができます。

するとこの本をめくるたびにイラスト入りの望診の項目を見て、
自分のことが書かれていて、それを診るかのように
「あっ、これって僕のことじゃない?!」とか、自分探しとしてたのしい発見が生まれてくる。

そんなたのしい本にしあがっています。

3520円というと、だいぶ高い本のように感じるかもしれませんが、
描かれている情報量がてんこもりでお腹いっぱいなほど勉強させていただけてこの値段なら、
私は納得です。


脈を診たり、腹部を触ったりという切診は次号の下巻になるのでしょう。
早く下巻をみたいなと思えたので、普段書かない出版社への読書カードのはがきに「下巻も読みたい!はやくお願い!」と書いて送りました。 ^-^;

湿度70%前後がつづく疑似的な梅雨、つづいてるときには、胃・脾臓が疲れるでしょう。食に注意が必要な時期です

いまだ日本は梅雨のような時期。
そのような話をお客様とする機会がありました。
ここ数日、湿度70%前後という高止まりが継続中。


中医学では、
梅雨のときは胃・脾という『消化器系』『口からものを食べる系』に疲労がたまるので、
食についての生活上の注意が必要といわれます。


感じ方としては、
「胃が重い」「胃がだるい」「胃がもたれる」「下痢をしやすい」「お腹が痛い」「腸にガスがたまる」といったことがみられます。



不思議と腹診をして腹部のみぞおち部分を触ると、いまの時期特有の異変を感じることがあります。
通常は胃の位置を触っても食事後に小一時間すれば空洞になる臓器です。
柔軟性がある臓器であるにもかかわらず胃の形状が目の当たりにできる硬さがあったり、
すい臓や肝臓と胆のうの当たりにも硬化した感じの障りがかんじられることもあります。
それゆえに胃腸の様子に引っ張られての不調にあらず、すい臓や胆のうの疲れからの不調だといわれることもあるようです。

そのような時ですから、
特にお腹を冷やしやすい人や体のむくみが出てきやすい人は、
食べ過ぎだったり逆に食べなさすぎなどを注意していくことが大事です。



また胃腸に関する不調が続くなら、胃を休めてあげるのも大事ですが、
あまりにも食べなさすぎと体力の減少と後退が進みます。
そこをうまく乗り越えるよう白湯をいただいたり、消化吸収のいいお粥をとるようにしてみましょう。



個人的な話で恐縮ですが、
「お腹が空いてるけど、何を食べていいかさっぱり思いつかない・・・」と乾麺をゆでてばかりで栄養不足ぎみです。
施術で最近思考が深まり、施術後は身体的疲労と同時に脳疲労の酸欠で、自炊する気力がわかないときがありました。
コロナ禍の非常食用に、乾麺をどっさりひと箱分も買ってしまい、気づけばそれらが賞味期限が切れてしまいまして。
すみやかに消費していこうと思うことも手伝って、賢い判断ができなくなっているようです。

今週は仕事が穏やかなときで、
コーチングの先生をしているお客様からメールで「鈴木君、施術についての短い映像つくれば?」的な言葉を聞き、
そちらに腰を据えて考えてみたいという時間に当てようと。
この機に食生活の改善をはかろうと考えています。

皆様も、胃・脾の疲れをカバーするような生活で、
いまを乗り切りましょう。 ^-^

身体が疲れていると高音を身体が吸い込む?! 私のライアーによる気の補い体験

昨日、振動医学的に考察して非常に貴重な体験をさせていただきました。

「ライアー」という竪琴のような木製の弦楽器があります。
サイズはギターのボディくらい。

ワークベッドの上に私が仰向けなりうつ伏せなりとなって、そのカラダの上にライアーを乗せた状態で奏でます。

そのときの私は施術直後ということもあって疲れていました。。。



すると私のカラダの上で奏でられていたはずの音色が変わりました。
耳に届く響きが中音から低音のみに変わったのです。
高音が急に消えて聞こえなくなった。

演奏から2分もしないうちにそうなったのだと思います。
そして1分ほどこの状態がつづきました。



てっきり私は弾き方を変えたからだろうと思ったのです。
ですが演奏後に尋ねると
「弾き方は変えてないんです。それはあなたが身体が疲れていたため、高音の振動を身に取り込むようにしたためです」
とのこと。。。

振動医学について関心を持って調べてきたことはありましたが、
これほどまであからさまに、
人体が必要とする振動のエネルギーを吸収する場面は経験したことはありませんでした。

そして私の足底が微痙攣をおこし自己調整も早々に完了したころに、また普通に高音が聞こえてきた。
つまり必要な高音の振動エネルギーをある程度の必要量を身に取り込めたというサインなのでしょう。



そうしたライアーという特別な弦楽器を持ってきてくれた彼に、
「ライアーとは、癒しですか?」と問えば、
「いいえ、癒しではありません。【祈り】です」と述べています。

その【祈り】には自然への畏敬の念と深遠な自身の生き方・あり方に起因しているものでしょう。
このかたは謙虚な鍼灸師の先生ですから癒しのためライアーをもちいてますといっても不思議ではありません。
ですが俗なる損得勘定といった気持ちを拭い去っていくよう歩み続ける姿に【祈り】と語る真意をみたような気がします。



私にはこれほど明瞭に音で聞き及ぶ振動エネルギーの補充によって起きる、
耳でしっかり変化がリアルタイムに推移変動する現象は体感したことがなかった。

振動という物資の動きを気のエネルギーと称するのであれば、
音という振動も気の力そのもの。

中医学では、陰陽を「陰は物質、陽はエネルギー」という具合に分別する考えがある。

施術後に疲労した私のカラダの中は、バッテリーが上がる状態で陽のエネルギーが減ったわけで。
そのときの対処法として、
{陽のエネルギー=気}を補う行動に出るといいわけです。
たとえば、食養生としてそのときの体調に合わせた生薬で調理された薬膳をいただいたりすることもできる。
たとえば、気の循環を妨げるような体内の組織部位に改善を加えてもいいでしょう。

やり方は多数あるわけですが、
この度、経験させていただいたライアーによる気のエネルギーを補う即座に起き
耳で聞けて補充の完了もわかる驚きは大きいものといえるでしょう。




以前もこのライアーを弾いてくれた方の身体にライアーを乗せてという体験をさせていただいたことがあったのですが、
前回は今回ほど明瞭な気が補われた感覚を持つことはできませんでした。
私がわかったようなことをいうのもおこがましいのですが、
ライアーを弾く演者の力量が祈りの純粋さが満ちてきた影響からか、
彼の内側から発せられる影響の飛躍があわさってのことと感じられました。

”あじわう”ということを教えていただいて。いまの自分の姿勢をあじわうことから、姿勢の改善ははじまります。そこが大事なんです。


今朝、お客様のおひとりに、
あじわうことの意識について」メールをかかせていただいた内容を、抜粋します。


~~~~~~~~~~ここから~~~~~~~~~~~~

取り組む課題としての{カラダとの対話}につきまして。

その主たるイメージとしてあいまいに聞こえるかもしれませんが、
「深くあじわう」ことといえるのでしょうか。

私の知り合いのコーチングの先生が話してくれたのですが、
コーチンセミナーにでかけたときのこと。

小さな包みに入ったチョコレートを、参加者へ手渡されたそうです。
それから主催者の概説、
「このチョコ。いつもだったらなんとわなしに、小袋をあけて口にポーンと放り込む。
 それは条件反射的にもぐもぐもそれほどせず飲み込みます。10秒かかりません」
「ですがこのチョコの食べ方は、あじわうように食べてください」
「半分に割ってみたり、小さい断片を口に入れて。それからしばらく時間をかけて味覚をたのしんでください。」
「するとチョコレートの苦み、甘さ、なめらかさ、などなど、このチョコが持っている味覚上の特性が自然につかめたはずです」


そして私の知り合いのコーチは、
「数分かけて小片のチョコを、丁寧に口に入れ、くちどけの様子や豊潤で複雑な味がすることに気づけた!いつもならこのことは気づかなかったと思う」
とのこと。



そのようなことが、あじわうということです。

口に入れたものを無意識にぱっぱと味わうことも早々に止めて飲み込むのではなく、
口に入れたら意識的に時間を使ってその素材のもつ複雑で多様な成分から味覚に別々に伝えられた情報を整理して頭に取り込む。

これを体の使い方に関連付けて例示すれば、
「立位で姿勢を正しましょう」と課題を得たとします。
この課題を聞いていつもならこんな感じで立てばいいなと、さっとイメージした通りの立ち方をなすこともできます。
でもここで「姿勢」を小袋に入ったチョコだと思ってもらって味わってご賞味していただくと、
チョコの成分は多様なように、姿勢の成分もそれはいくつかの要素からなっていると、
そのいくつかを自身なりに分別して感じ取るプロセス過程をもつことがあじわうということなのでしょう。



たとえば、
「姿勢とは?どのように形作られるのか、要素でわけてみようかな」と思えたとしましょう。

・筋肉の弛緩、
・筋肉の無意識には抜けづらくなった部位、
・骨の位置が左右シンメトリーか、
・骨の位置の高さは理想的か、
・下丹田に主に重心があるか、あるとすればそれはへそ下にあるか、
・・・・等々、他にも思いつけるだけ思いついたものを出していって、それが現在の自身の身体ではどう表現されているかを認識する。
というのが味わうです。

基本、意識的にこのような状態であると認識することができた点に不具合があれば、
そこに脳が気づけた場合には、自動修正をこころみてくれることになるでしょう。

時として骨の並びの正確性を追究するときなどは、意図的に理想の位置に配置するという作業も必要になりますが、
筋肉の無意識にいれている無駄な筋緊張が存在していたと気づいた瞬間に、その凝りは半減してくれています。



そのようなワークをすること自体、ちょっと面倒くさいと感じられ、一般的ではないように感じるでしょう。
これを実践しているのは
「禅」の修養などでは、無になるのが大事だといわれる半面、禅の姿勢がすばらしい者たちはまさにこのような姿勢の要素を的確に分析して
卓越した理想的なカラダのパーツの配置をおこなえたものです。
体のなかの不要な筋緊張が断捨離するには、必要な配置に筋、腱、靭帯、内臓、骨を設置できたうえで呼吸に集中する。
身体の理想の整えられた姿勢をかなえられることが、先に必要だとされます。
そして体が整えられた後に、すると心も同時に整えられていくものなのでしょう。

これも「座禅のときの姿勢とは?」といったそのときの自身の姿勢をあじわって、
さまざまな素材をどんな状態であったかを、事細かに要素を分解して見つめていく過程を経た結果によって見えてくるものでしょう。


なんとなく、あじわうとは、・・・・そこまでいわれずともわかっとるわい!といわれそうですが。 ^-^;
チョコをつくる成分を味覚で分別してそれぞれがどのような苦み等をしめしているかを理解する過程と同様であるというイメージ、つかめましたか? ^-^)
それらの味覚のひとつずつに意識が及んで評価が加えられ、ひとつずつの成分の性質が理解できたら、それらの分析結果から得た体験を通した情報を総合的にまとめるられたとき。
脳は、それがわかったと理解でき、あとであじわったときに感じた体験はいつまでも詳細に思い出せる、
いま、食したものはこのようなチョコだとわかったのだと容易に説明ができる状態のことなのでしょう。

そしてしっかり体の深層筋がゆるんだ人は、あじわいぶかい体になっているのです。
だから、そこのあじわいセンサーを意識して育てていく修練を積むといいのかなと思う次第です。

ちなみに。
生活をあじわう、
人間関係をあじわう、
等々「〇〇をあじわう」のような展開を問いとしてだすように、コーチングなどでは自問自答をうながすことがよくあるんです。


~~~~~~~~~~ここまで~~~~~~~~~~~~

気づきのプロセスに至るか!?

プレジデントという雑誌に目を通していたとき。
禅とマインドフルネスの違いは?」についてのカンタンな解説があった。

この両者は、別物です。

{禅}は、いまの状態を「ありのままをありのままに認識する」という修行。
{マインドフルネス}は、自分の状態がどのようになったらよいかを期待し、そこにいたるための技術。


マインドフルネスについて、多くの出版物がありますから、
私がここで書かせていただく必要はないでしょう。




について、
少し考察を加えていければと思います。

人間の能力のひとつには、
モノを考えなくても自動的にこなせるようになっていく器用さを持ち合わせています。

体験をした自分に関係することがらは、
そのときは新鮮で観察と工夫がなされたでしょう。
ですが同様のことを繰り返すだけでいいと感じた瞬間、
かつて体験して得た範囲内のことがすべてだと感じだすのです。

するとそれからは同様の体験をしているだけの陳腐なことをなすだけと、
ほとんどそれについて話す気も起りません。
むしろそれについて触れようとせずに無関係なことに話をすりかえます。
もし応答をしても最低限のことのみにとどめるようになります。

これがもっとも禅的な姿勢から程遠いステージにいるのですが、
繰り返される日々のルーチンワークからは、このような場に留まります。

次のまだましなステージでは、
自分にとって関心のある話だとは認識できたものの、どういった気持ちがでてきたかは表明しない。

次には、、、
感情等の話がでてくるようになるにつれ、無感覚かつ無感情に近い作業からは抜け出してきたが、
それはまだある場面にのみの話で限定的なもの。


次には、、、
全体を通し感情をもって語られる。そうした話をすることで、自分がどのような人間かを語りだす。

次には、、、
仮説を提起しつつ、自分が感じる実感に深く触れていく。

次には、、、
ここで「気づき」が現れる常態へとシフトしていく。

そして最後に、
そうしたひとつの「気づき」から、生活のさまざまな場面まで影響が広がっていく。







たとえば「呼吸」について。
人は呼吸をする体験を通し生命を維持する。


だけど他者から「呼吸は大事」「呼吸に注目してください」といわれても、
「そんなものさぁ~、あったりまえじゃん?なにをいまさら・・・」と思う場に立てばどうだろう。
もし、このステージでいたなら、
そのものはあるがなまの自分を知ろうとはしていない。
自身を大局で見分する作業に進む段にはないため、
いつまでも不鮮明にしか認識できていない自分のいまの呼吸にこだわり続けてしまう。


そんな投げた受け取りをせずに、
自分の呼吸について語り、話すことで、自分とはどんな呼吸をしているか観察が始まったとしたら。


その観察にもとづいて、「もし、〇〇だったら、もっといい呼吸ができるのでは?」と仮説を提起し、
自分の体で感じることに触れるとしたら。


この観察からの仮説提起ができたときに、さらなる芯を得た「気づき」が起こるのです。


そうした「気づき」には、呼吸の様子を観察して自分がどんな性格であるか、どんなときに緊張するか、
どんな呼吸をする身体に移り変わるのが自然の理であるか、、、
など生活のさまざまな場面まで呼吸を通して気づきの変化が拡張していくのです。






実は、数日前のコーチングの先生をなさっておられる方が、
「「私の呼吸の吸う、吐く、止める」について詳細に観察し、
  そこで起きて発生する課題に気づかれて、
  ならば私はこのような改善を提案する」
  といった内容のメールを書いて送ってくれました。
  文章中には書かれてはいなかったと思いますが、
  自身の呼吸の仕方から自分という人間を客観的な把握をするのに使われておられ、
  そこから重ねて生活上の変化改善へと自らを導いていこうと利益が派生していかれる様子でした。




私がそのコーチングの先生に「呼吸の様子については?」と問うたとき、
「あなたの呼吸は乱れていてダメだよね~」とか言いたいわけではない。
コーチングの先生には、そう問う私は黒子でしかなく、
あたかも自分が自分にそのような問いをあたえたのだ、と受けてくれる。


私も、さっぱりとしたもので、呼吸に対して意識を向けていくきっかけを作りたいだけ。
自分の呼吸のリズムや呼吸の深さなどへと注視する機会を持っていただいたとき、
そこから本人が何に気づくか、そしてどう変わるかは、
そのことにより気づく体験を通して見つけ出す本人にすべてまかせていますから。

実際は私も望診でお客様の呼吸を読むので、なにかがそこにあるぞと感じてます。
ですがそれは私が感じたものにすぎなくて、
そうした私が感じたことを強制的にシェアしてもお客様は納得できなければ、それまで。
だから意図的に私自身、バレーボールのセッターのようなもので、
スパイカーに打ちやすい選択肢の多い球を出すよう心がけています。

もし私がお客様に対し「ここ、大事!ここ、注目!」といってしまうと、
指摘をしたところは幾ばくかはとらえていただけても、
裏では、指摘されなかったところに広く観察の目を向ける妨げになります。
禅とは、気づかないから持てていた盲点をつぶして取り除くことを通すもの。
そう考えているため、Yes No では回答できない問いかけをして、
そこが自問自答をなさるきっかけになればいいと願っているのです。



そしてまさにコーチングの先生は、冴えたクリーンヒットで、
私が想像していた以上の気づきを得てそれを語りシェアしてくれました。

そうして本人が気づきよくなるような方向性を実感できて語れたことは、
もう、そうしたイメージを思い描きつつ語る段階で、八分通りかなっている。
不思議なんですが、本当にそういうもの。
そうした気づきを誘発させるプロセスこそが、
自分の成長へと導くコーチとなります。

そして人は成長すれば、次のステージに登り、
上乗せされた成長の課題があることに気づきます。
それの繰り返しで、成長曲線が急上昇カーブを描けていきます。




呼吸以外にも、
たとえば、、、。
人の姿勢が変わりづらい理由、
同じところに腰痛が繰り返される理由、
昔からの首凝りが抜けきれずに困る理由。。。

それらは自身にとって盲点となって認識が不鮮明であり、
同時に問題を含んでいる日常の当然と感じてそれ以上を観察も改善もする気がないような、
実存する課題があることをしめしているのだろうということも考えることができます。

「内的視覚」が鋭くなったきっかけは「福石」のおかげさま

今日も東京は雨です。
外出する予定ではありますが、
雨、止んでくれるといいのですが。。。


話が変わりまして。

望診という中医学の診断のひとつにも、
人体を外見から眺めることはできます。

身体の状態を、
外側から視覚により見分することです。

ただ筋膜リリースをするという場合は、
カラダの皮膚の表面の状態を知るだけでは情報量が不足しているのです。
皮下の状態を探索し観察し、的確に把握して現状を知って正すためのしくみを見つけることができなければ、
的確なアプローチをすることができないのです。

そこで一般的には、皮膚の色をみて、乾湿をみて、できものがあるかどうか、しわをみて、温度をみて、気をみてというようなプロセスで、
患部周辺を探索していきます。

まれに透視能力があるかのように患部の情報を読むというものがおります。
そこは「内的視野」とか「内的視覚」などと呼ばれますが、だいぶ不可思議なものです。
単純に否定するのはたやすいのですが、実際に一部の者にはそういった内部を感知しているとしか思えない成果をだされることがあります。

そこを自慢げに話をしてしまうようであれば品がないと、私には思えてなりません。
ですがそうしたことも含めて、人間が本能的に持つ能力のひとつに組み入れられているのだと感じます。
ただそれを誰もが持つかどうかはわかりませんが、
できれば施術をする者として自分のためにもお客様のためにも持っていたいと切望するところです。


ですがそんな私にも、ときおり自分で「おっ、やった!(リリースできるような部位にベン石の先っぽが)うまくかかった!」と
思わず声をあげているときがありますが、そのとき。
手の指先の感覚を研ぎ澄ませてベン石温熱器を通してお客様の深層の患部の状態を探り当てているわけですが、
私の目線が完全に患部やそこに接しようとしているベン石温熱器から離れて中空をみているときがあります。


自分でも気づかないうちにそうしているのですが、
そうした目先には、私にとって不思議でなりませんが、患部がありありと見えて感じ取れているときがあります。
これが内的視覚というものの一種なのかと思ったりしますが、以前はここまでしっかり見えてはいなかったのです。





うそっぽく聞こえますが、
そうなる前に、きっかけがありました。




江の島にはツボクサ(ゴツコラ)が自生しております。
私が好きな生命力のつよい食べるIQと評されるハーブです。

すでに自宅で栽培しているので、それで自宅用はまかなえます。
だから採取がもくてきではなく、
どのような環境下で自生するかを観察することで性質をみるためなんです。

それで定期的に江の島に通っていました。



そして江の島神社の階段を上る途中に、気になる像が鎮座しているのです。
杉山検校和一先生という、日本の鍼の世界では知らぬ者がいない先生です。
私は、特に杉山検校先生のことは存じ上げておりませんでした。
脇にある先生の伝記を読ませていただいて、なるほどとは思う。
ですが鍼を私が使えるわけじゃないんで、身近に感じたとはいいがたくて。
ただ習慣的に像があれば手を合わせるのを繰り返していました。

そんなとき。

杉山検校先生が若かりし頃、
武士の出でしたが病により子供時分に失明し、
生きるために鍼の術を身に着けるため弟子入りしたのです。
ですがなかなかうまく鍼が打てなかったことで帰されてしまいました。
落ちこぼれてしまったことによる、絶望を感じたことでしょう。。。
帰途の途中で一念発起し、江の島の洞くつで断食修行。
その祈念の修行の終わった日に江の島を後にするとき、
石につまづいて気絶したそうです。
そして意識を取り戻し起きたとき、
懐中に手をいれれば指先に刺さるような当たるものを感じました。
丸まった枯葉のなかに松のとんがった葉がはいっていて指先を刺していたのだそうです。

そのとき目が見えないため鍼を思うように刺すのが大変難儀していたものの、
管に鍼をいれて的確に経穴に刺激するならきっとできるはずだとひらめいたそうです。

それから京都へ鍼の修行をしにいかれ、後に江戸にて開業。
その腕が知れ渡り当時の将軍、徳川綱吉公の病を治しました。

綱吉公は褒美に欲しいものがあれば、いいたまえというと、
杉山先生は「ただ一つ目が欲しゅうございます」

これを聞いたときは綱吉公も困ったと思いますが、
本所の一ツ目という番地の土地を杉山先生に褒美として与えたといいます。

その後にその拝領いたしました土地に家屋を立て、
目を病んだものにも手に職を持たせるための手習い所を設けたといいます。
杉山検校先生が残した医学の知識は文章となり、今も学ばれております。

85歳になってご他界なさりました。
当時の85歳といえば格別なる長寿。



そしてこの杉山検校先生が若かりし日の江の島で断食修行後につまづいた石は、
現在、福石と呼ばれ江の島神社の上り階段の途中に安置されております。

なんか、変なことをいってるようで恐縮ですが、
この福石の上辺は少し丸みをおびておりまして。
夜の夜中にそこを私が観ると、気の揺らめきのようなカゲロウを通して物をみるようなものを感じます。
日中では明るすぎてわからなかったのですが、夜半となれば、私でなくても鋭い感覚を持たれる方は気づくでしょう。

そして福石の頭の部分から何がでているのかを感じようと、
私の頭をそちらへと近づけて覗き込むようにしたときのこと。

おそらくそれからだと思います。

「内的視覚」と呼ばれるようなものがいきなり強まって感じだしたのは。
もちろん、施術をしていて、日々、身体内部の情報を得るにはどうすればいいか、
書物を読み、実験をし、研究を続けてきたため下地になる知見の量は集まっていたと思います。
ただそうしたものも、うまく整理されて、知識が線で結ばれない限り、使えるようにはなりません。
福石の頭の上を覗き込んだ時に、表現しづらいようなビジョンが現れたのを驚いたのですが、
それをきっかけにして急に今まで以上にお客様の体の内部への探索力が増したように感じました。


鍼灸をなさる先生方が、患者様の体の内部をどう察知して鍼を打つのかの感覚。
そこは私には鍼を打ったことがないのでわかるものではありませんが、
そのときからだいぶ鍼灸の専門学校か、、、いいな、、、と思うようになりました。

以前、鍼灸師のお客様から、
「鈴木さんは鍼灸、向いてるかもしれないよ」とお勧めいただいたこともありました。
ですが私は当時、それってどういう意図があっての言葉なのかぴんと来てなかったのですが。


杉山検校先生の墓がひとつ、江の島にもありまして。
私が独りでいくときには、かならずお参りさせていただいておりました。
鍼に関心が深いわけではなかったのですが、不思議と杉山検校先生とはどういう方なのかというところを感じたら、
純粋さを根に持つすばらしいお人だろうと直感で思えたからでした。


そのような鍼の道を後世に伝えることとなった先人がいるのは、
素晴らしいことですよね。
私のしていることは、自身でとらえた課題を得て、それを解決するというものの繰り返しの日々で、
ただ一人で技についての師と呼べるような方はあまりいたためしがないような気がします。


ですがコロナ禍も深まり、またいつ休業になるかもわかりません。
休業どころか、私の施術者仲間には転業の波が訪れていますので、
遅かれ早かれ、対面での仕事から離れて活動する場への転換を余儀なくされるものですし、
そうなれば仕事として一から構築していかなければならないので。


鍼灸の専門学校に入るための資金繰りはつかないのかと思います。
この年にして、新たなことを学ぼうというのもいい生きがいだと思うのですが、
いまの時期は、先立つものを考えれば動くこともままなりません。
残念です。。。





以上、
いろいろと散文的に書かせていただきましたが、
もし同業者のかたがこの文をお読みいただいて、
江の島に足を運ばれたときには。

ぜひ、「福石」にお参りしてみてくださいね!



あと両国に江島杉山神社( http://ejimasugiyama.tokyo/index.html )という神社があるそうです。
そこは杉山検校先生が綱吉公から拝領した土地で教育をした地に立ちます。
こんど、そちらにお参りに行ってくる予定です。 ^-^
その隣には記念館があるらしく、多数資料を拝見できるようで、たのしみ。

施術者は、施術をさせていただくことで、しあわせを感じるセロトニンがでている。それも真理だけど、深い改善を期待できるほどの筋膜リリースでは、しあわせホルモンを感じる余裕がない経験が立て続けに起きているのもホントです。それって、どういうことかというと。。。

科学的な実験で、施術者がしあわせを実感するということは証明されていることです。



施術を受けた人と受けなかった人を、比べれば。
施術を受けたものの方セロトニンという幸福ホルモンの分泌が多く排出されます。

そこは当然といえば当然。



施術後に施術をした者もセロトニンの排出量を計測します。

結果、多くの優秀な施術家は施術を受けたお客様・患者様よりも
実は施術者からは多量のセロトニンがでていたのです。



セロトニンがでてくる量が多い順.png


もちろん、義務的に流れ作業で施術をしていたらセロトニンが出ることもないですが、
親身になって自身の技量の粋を持ってお客様の苦境を助けたいという気持ちがあれば。
いくばくかでも自分がかかわり貢献できているということに幸せを感じるのです。
施術者とは、そういう人種なんです。

または施術者がする施術ではなく、
親子間などの場合でも、相手を思いやる気持ちからのマッサージをしてあげたい行動は、
やはり多量のセロトニンを出すものといわれています。

それって、非常にしみじみとわかるような気がします。




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ただセロトニンがでてしあわせを感じる反面、
施術家の修行中の者や熟練になった者にしても、
施術の疲れは半端なものではないといわれます。



それはなぜかといえば、
マッサージをするときに患者様であるお客様の皮膚を直接触るとき、
気の交流がおこなわれるためだともいわれています。

それはエネルギーは高いところから低いところへ移動して中和されるという考えに基づくものでもあります。



量が100ml・温度100度のお湯(A)に、量が100ml・温度が50度(B)のお湯を混ぜれば。
200ml・温度75度のお湯となるわけです。
そこには温度の高い(A)から(B)へと熱が移行されることで中和が起こります。


一般的に筋膜の癒着があればそのエリアの体内のエネルギーは停滞するのです。
筋膜の癒着が進んだ個所には「エネルギーシスト(嚢)」と呼ばれる、
必要しかるべしのエネルギーの循環が滞ったため起きたエネルギーのよどみのようなものが溜まるといわれています。


エネルギーシスト嚢.png


私はそのようなエネルギーシストが指先で鋭敏に探索できるよう訓練したことで
お客様の体をチェックしているときに、皮膚の上に現れた形状や体温や湿り気や色といった眺めて触ってわかるもの以外の情報を読み取り、
おおよそこれはどれほど身体の皮膚から奥まったところまで侵入していることか、
そしてエネルギーシストからの粘度のようなものが感じられるため、
ここ、リリースです」といった的確な解いて価値の高いリリース個所の探索ができているのです。

エネルギーシストを察知できずに教科書通りの手であれば、
臨床は早々に手狭になり「打つ手なし」といった事態に陥るでしょう。
なんらかの身体的な改善が起こる可能性を持つ重要なエネルギーシストを優先順位をマークして手順付けしてからの解放です。
筋膜のリリースという言い方のほうが、最近では一般的な通りのいい説明のしかたとなりますが、
多様な実態を知り実務的な対処を施していくことが勝利を得るための努力となります。


お客様は「触れられて私も、そこ、やばいと思ったんだけど。なんでわかっちゃうの?!」といわれることも多々あります。
理由は、そこのエネルギーシストの存在の察知が傍観して全体像からだいたいのエリアを抽出して、そこからミリ単位の半分以下にまで、
効く点を絞り込んでいく過程で「ここ、リリースです!」といったところがわかるのです。

これもトレーニングで、だいたいの者がわかってくるものですから、
人間の本能がもともと持っている観察力の才のひとつなのでしょう。
ですが施術者の誰もがわかるというものでもないようで、
意図的にトレーニングしなければわかるものではないでしょう。
積極的にエネルギーシストについての資料を多数目にしていき、
直接目に写りはしないがエネルギーシストが発する独自な状態を放つ情報を得ようと感じ取るようにするとわかるようになるでしょう。







ただこのときに施術者側は注意を要します。

先に申しましたように、エネルギーの中和が起きるときには、お客様の体内にあるマイナスの気といえるエネルギーシストが外へと排出されることとなりますが、
同時に施術者の体内にあるプラスの気といえるエネルギーが患者様の体内へと代わりに流れていくのです。

施術者同士での言葉では不謹慎かもしれませんが
「お客様からのエネルギーシストをもらった」
「{多くの施術者の気が}持ってかれた」という状態に陥ります。

エネルギーシスト.png
「お客様からのエネルギーシストをもらった」



エネルギーの転写.png
「{多くの施術者の気が}持ってかれた」


私自身、施術技術が足らなかった過去の自身の施術で、ときおり目を見張るような成果が出たことがありますが、
そのときは気功の先生のようなまねごとをして気を送り中和することで成果をだしていたことがあるのです。
それにより5度くらい体内の気枯れが著しく身を消耗しきって、生きるしかばねに近しい苦痛から仕事を長期休業を何度も繰り返したのです。
実際、気枯れと呼べる状態に陥った施術者は若死にするケースが多々見られることです。
私の知り合いの施術者に気枯れで精神を病んでいった末に、その方の葬儀にも出席したことがあります。。。
私は、自分が気枯れで長期休業をしたというのも、当時の家族に多大な迷惑や心配をかけて生き残らせていただいた思いがあります。
休業が許されない反対者がいたら、素直に私は仕事を休まずに続けていたと思います。
そして他界していたことでしょう。


そのような私だから多大なエネルギーシストにさらされた上での気枯れの恐ろしさは身をもって感じています。



正直な話をすれば、
室内にエネルギーシストが発散されたときには施術場が粘り気がある濁りの空間化するのですが
ベン石温熱器を使ったときにはベン石がお客様のエネルギーシストを受け止めてくれて浄化する力がけた違いに優れているようで、
ベン石温熱器を適切に使いだしてからは施術後の室内も問題ない。
エネルギーシストが蓄積した空間にいると、それですでにその場にいる正常な者の気は徐々に混乱をきたしてしまうので、
ベン石温熱器を使う前は施術後にどんなに熱くても寒くても2時間窓を開けて換気をしていたのです。
ですがそれがものの5分や10分で済むようになりました。

特にエネルギーシストが溜まって陰性が高く粘度が増すのは腹部です。
エネルギーシスト嚢 内臓部.png

ベン石温熱器を使えた前にお客様のお腹を深く解けば、お客様の気に同調してしまい必ず体調を悪化させて吐き気や頭痛と得体の知れない腹痛等が襲ってきてトイレで突っ伏しているのが常でした。
正確に言えば、現在のベン石温熱器を使って腹部のエネルギーシストをリリースしているリリース量の五分の一にも満たない量しか、
ハンドマッサージでは当たりがきつくて解くことができないにもかかわらず、でのことです。
アプローチする側にとって非常に負担が起きる可能性が高いエリアだといえるでしょう。
「最奥の深層筋はどこ?」という問いには、内臓部と答えることができるので。
それは内臓部にエネルギーシストが定着して混乱をきたすということは、
これ以上ないほどの裏に入った状態だからの腹部のエネルギーシストの問題だといえるのでしょう。
これは私の知り合いの先生も同じような感想を述べています。

あとは頭と胴をつなぐ首の筋肉、頚部
こちらについてはどういった理由かはわかりませんが、
他の骨格筋にはないエネルギーシストが入り込んでいるかのような感じがしてなりません。
頚部といった急所への手技によるアプローチからくる緊張だからというだけでは説明できない、
もやもやしたりくらくらする厳しい神経系の混乱を施術をした私が置かれます。
これもまたベン石温熱器やベン石のかっさがあるおかげで、
首のリリースをするときに患部のリリースにちょうどいいフィットさせることができて重宝しています。
それだけではなく施術者とお客様の患部との間にベン石が仲立ちするおかげだと思いますが、
首のリリースをしたときに以前に感じた異常なまでの緊張感や不快感の施術者の体内への残留が大幅に軽減する経験を得ました。


そしてエネルギー転写は、私の気をお客様に送る前に、
ベン石温熱器が発生した特別な気を増長させて送る作用により充当しています。
つまりエネルギーシストを受け取ってエネルギーをあげるときの「気枯れと転写」が、
だいぶ失せた感じになります。
体調的に重篤な疾患を持たないお客様からは、ほぼ筋膜リリースでエネルギーシストが解放されても「気枯れと転写」は感じられません。
それはベン石温熱器の使い方を工夫したらしただけ、そこでの問題が解消されいきました。

この「気枯れと転写」によりエネルギー上の混乱をきたすと身体的な疲労の問題もありますが、
思考と精神に多大な悪影響を与えるという傾向があるため、睡眠が浅くなって体力の回復がしづらくなるのです。
ですがこの「気枯れと転写」が起きなければ、集中力を高め思考を要するカーリングのようなスポーツをした後に感じるかのような読みあいです。
このような位置に自他のカーリングの球があるなら、次の一手はどのような手があるかと、展開を読みまくります。
そのような類の疲れの質になっているため、
どっとくる身体的な疲労はあっても、気枯れと転写がなければ寝れば、体調は改善できるのです。


※ 基本として、一般の方が手技をなさるような場合には、的確にエネルギーシストを解放できないため、
  腹部や首のリリース以外では「気枯れと転写」は感じられないと思います。
  それ以前に一般の方同士でのパートナーマッサージでは事故の危険があるので首と腹部に強い力をかけるようなことは
  とても手技がうまい方は別としまして控えておいたほうがよろしいかと思われます。
  特にもしなさる必要があって特別な疾患を持たれた方への施術をなさるときには、
  施術時にかける時間が長くなりすぎないようにすることや圧を軽めにしておくよう気を配りましょう。
  
  もしパートナーマッサージ等で「気枯れと転写」が強く感じられたようなときは
  一軒家であれば水道の流水で1~3分間ほど手をさらします。
  これは私の施術直後に必ずおこなう儀式のようなものですが、
  アーシングによっていくばくかの自身の体内に侵入したエネルギーシストは水に流されます。
  ただビルの貯水槽の場合には、このリセットは効果的には成果がでないため注意が必要です。