からだを壊す前に手を打ちたかった。。。

ワークテクニックを磨きたい、
その気持ちは強くあります。
いざというときにちゃんと勉強しておかなければ、
そのときに後悔するからです。

しかしそれ以前の問題があります。

ワークを緊急避難的に受けることになる前に、
そうならないようにする方法を知りたいのです。
こちらの優先順位はワークテクニックを磨くことよりも上です。

それは家族や友達が肉体的に苦境に立ち入る前に、
回避したいという発想です。
苦境に立ったときの顔をみたくないのです。

今日お盆で父の御霊を迎えたのですが、
父には何もして上げられなかった。

晩年、父は椎間板ヘルニアで、
医師に成功するかどうか分からない手術を勧められていた。
父は拒んだ。
それを回避するために、多くの整体院や民間療法を試みた。
僕が整体などに興味を持つ以前の話です。
手当たり次第に情報を僕が集めて、
電話で問い合わせをしたり、
実際にいってみた。
だが本に書いてあることと実際になされていることのギャップが著しい。

「いっていること」と「やっていること」が、
玉虫色。

語弊があるが、
『ねずみをとるのがいい猫』。
自慢話を聞きたいのではない。

『本物』とはご縁がなかった。

僕のそのとき持った素直な感想です。

結果、痛みがひどくなったためと、
家族の経済状況を苦しめていることに気を病み、
自殺という道を進んだ。
父はプライドを持って左官業を営み、
その壁を塗っている後姿が好きだった。
椎間板ヘルニア後は、もうその道も閉ざされた。
そのことも大きな悲しみであった。

からだを壊すその前にそうならないようにしたい。

僕には、
その願いが父への弔い合戦的な意識があります。

その発想に基づき体の使い方を自分なりに検証していき、
『なぜ肉体を壊すほどの負担を強いたのか?』を分析します。
それは精密な計測機器や適切な指導者がいる元ですることではなく、
素人の域を超えないものかもしれません。

ですが少しでもからだに負担をかけない使い方が広まることが、
僕の願いです。

まだその研究過程で、
関根に説明しても『よくわからない』とそっけなくいわれて玉砕。
(ただ武道系のお友達にはストレスなく通じあえます。
「伝え方」のプロセスが未熟すぎるのです・・・)
めげながらも、地道に進んでいます。

住職のうしろでお経を唱えながら、
そんな気持ちを強く感じました。