『勘』の下地と「知らないから教えて」という勇気

町工場の技術者が、『勘』を頼りに仕事をすることがあります。
『勘』といっても、その裏に基礎知識があります。
長年仕事に取り組み観察をしてきた。
『観』てきたのです。
真剣に観察してきたから、その観察から『観』を養ってきた。
だから難題を突きつけられても、
今までの『観』によるデータがインプットされています。
そこから脳内のシナプスに電流が流れて、
問題を理解・分析し反射的に解答をだす。

『観察』に支えられた『勘』です。

問題の解決方法を丁寧に説明するという説明力は、
他の人に物事を判りやすく伝えるという別の能力が必要。
だからとき「『勘』としかいいようがないです」とおっしゃいます。

そのような勘働きができる人は、
事前に十分力を蓄えているから、
常に一定以上の仕事ができます。
そして常に成長し続けられます。

ですが『勘』の意味が『観察』を基にしていないとき。。。
結果の当たり外れは大きい。
観察を基にしていて勘を働かせる人ならば、
道理がわかっているので一定以上の筋の通った解答を出せます。
ですが観察を経ていない『勘』は、
正解と逆の解答をたたき出すこともあります。
ボディワーカーがそうであれば、目も当てられません。
観察や見識がない勘は、よほどのことじゃないと使わないのです。

そう考えると、
基礎的な知識や知恵をデータとして蓄えておく習慣。
これが勘の基になると思います。

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中国の武術系のことわざがあります。
『学ぶに老少無し、達する者を師と為す』
武術においては、年齢や資産や身分、
さらにはどれくらいの期間やっているかは無関係である。
要するに、自分より強い人、
自分より技の優れている人はすべて先生なのだ、という意味です。

若い人で有能なワーカーも増えてきます。
そんなおり自分の年齢が40代・50代〜になると、
「知らないから教えて」と言いにくいことがあります。
そのような態度はもっとも勘を鈍らせるものです。

私自身、普段より偉ぶらない低姿勢な人と見られているので、
素直に「知らないから教えてください」といえます。
そこは得なところですね。

あとワークテクニックを教えているとき、
勝手なことをしていると「そのやり方知らないから教えて」、
ともいいます。
するとたいてい自分で間違いに気づいてくれます。^^1

「知らない」といえるのも便利なときがあるものです。