体の中にある力の流れる道=勁道

『勁力(けいりょく)』って聞いたことありますか?
武道関係に興味がある方はご存じの方がほとんど。


勁力とは簡単にいいますと力の出し方のこと。
勁力の種類は様々あるそうです。
中国武術では沈墜勁・十字勁・浸透勁・蓄勁・寸勁化勁・その他いろいろ。


そして勁力が流れるための道筋もあります。
『勁道』といいます。


ワーカーが動き方を伝えるとき、
よい勁道を見つけてそれをなぞらえて指示するのです。
ただ勁道とかいうと武道関係者でもかえって肩苦しく感じる人もいまして。
それに誤解をよく生じさせるワードの一つです。
だから『体の後ろのここを意識して、ここから力が順繰りに伝わるように』
などのような平たい言葉を使うにとどめます。


ただ知ったもの同士ですと、
『ここ勁道分断してますよね』とか
『この姿勢は勁力活きて渡ってる?』とか。
分けのわからない言葉が飛び交います。
筋肉のベルトや経絡やらを共通認識としている。
そうなると要領のいい会話ができます。


勁力を使うためには
『ひとつに統一された体』であること。
ひとつに統一された体であることで、
勁道ラインが初めて完成いたします。


で、この勁道ラインなんですけど、
しっかりその道を描くためにはいくつかの要素が必要と思います。


・勁道ラインを把握していること
・勁力を発するとき(=発勁)無駄な力みがないこと
・勁道ライン上に筋肉のしこりがないこと
(しこりがあれば勁道ラインはそこで断たれる)


勁道ラインは一本だけあるわけではなくて幾本もある。
そして各々の勁道を通ってそれぞれが仕事をし、
その合力で『仕事』をする。


だから例えば指一本で人を投げる達人も、
指が特殊な造りをしていたわけではなく、
全身の勁道から勁力を指一本に集中した。
その結果人を投げちゃうのです。
指一本で投げたに見えるだけで、
全身を効率よく利用して力を集めている。
指一本で投げるやり方は他にもいろいろあるみたいですけど
そのようなからくりで投げることもできるのです。


力が流れる勁道を断たれた動き方をすれば、
力が自分の体のなかに押し止められて緊張する。
それが力みになるのです。
力みは取りづらい筋しこりを造り出します。
勁道が断たれていれば筋がしこり化してしまうのですよね。


だから体の使い方がうまくなされているかどうか判断して、
不都合なところがあれば何らかの状態や現象が起きていると予測。
それで観ていくと要領よくしこりも見つかるのです。


筋がしこり化した部分では血管やリンパ管が圧迫されている。
それら血液やリンパ液などが内側でよどむという気持ちが悪い状態。
液や空気は循環があってこそ活性化される。
それは自然の摂理だと思います。
その状態で生命力を向上させるにも、
栄養素をいただけない細胞は弱り、
老廃物を溜めて酸性が強まり粘性の上がった液はこまったことをする。
免疫物質も届けにくい。
これでは健康的とは言いづらいのですよね。


すると勁道を通したよく練られた動きを研究しておられるとか、
自然のままの生まれたてのムーブメントがキープできてるなとか。
そうであれば無駄なしこりもつくる量が減ります。
生理的範囲内でできたしこりは良好な体液の温かさで、
寝ているときに効率よく解かされていくでしょう。
とても安心ですよね。


私はお客様にそのような安心な状態になって欲しいと願っております。
だからワークでは勁道を通しやすくするように筋肉のしこりをリリースする。
その上で動き方を伝える。
動くときに今まで分断されていた。
分断されているところを意識で感じ取ってといい続けると、
言われる方もストレスですし言う方も苦しむのです。
力の流れをつなげているから力の流れを感じ取れる。
そして少しずつ体全体の動きをまとめあげられるように勤める。


これがボディワイズのワークと言えるのかもしれません。

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『うまく体全身を統一して活かして使う』こと。
これができるには一般的に修練が必要で難しいものです。


どのように使えばよいか示したものを見せるのは簡単。
黒田鉄山氏のDVDを観ていただければいいでしょう。
黒田氏の体全身を統一して活かして使う順体理論の映像は印象的。
まるでマジックのようにも見えますから面白いですよ。


ですが簡単にそのような凄いことができるわけではないのです。


たいていの場合、
動き方は自分が生まれたときに周りにいた大人達の動きを見て真似てしまう。
その動きが真に優れていたものであればいいですが、
そうでないこともよくあるのです。


そうならば自分自身の体を、
自分で設計しなおすことが必要です。
他人が設計してくれるものではダメ。
他人はヒントをくれるだけ。
いいヒントかどうかは重要です。
よき師とのご縁はありがたく、
戦略的に優れている。


でもいつも辿り着くところは
「自分の体の設計は自分しかできないという気づき」なのです。


自分が設計に携わるようになったとき、
いかに自分が自分らしくない動き方を
与えられて育ってきたことか。
数多くできた動き方の轍を見つけ愕然とします。
その動き方の癖により、
独特な体の歪み状態を作っていたことにも気づきます。