『自分で考えて答えをだしてね』

先だってバンビーノというテレビドラマを見ていて。
バンビがホールの仕事に苦戦しているとき。


先輩からのアドバイスが、
『自分で考えて答えをだしてね』
というものだった。


俺は教えてあげないよという、
ちょっと突っぱねられた感じ。
だがほんとうはそうではなく、
バンビの成長を考えたことば。


安易に知識を伝えてわかったつもりになっては成長しないから。
自分が悩み勝ち得た成長しかよろこびがあふれることはない。
自分の頭で考えなければ勉強にならない。
試練を乗り越えなければ!


だが悩んでいるときほど不安になる。
先達に答えを求めたくなる。
そして自分の頭を使わなくなる。
そこをいさめようとした先輩のことばなんでしょうね。


ただ自分が知っている答えを教えるだけでは人は成長できない。


『なんでできないんだろうか?』
などと真剣に問題に向き合い知恵をしぼる。
人生はその繰り返しだと思う。


たとえば「ノートパソコンはからだにあまりよくないんですよ」
と私がいったとします。



そこで『それはなぜですか?』と即座に答えを聞くよりも、
自分なりに「なんでだろうか?」と考えてみる。


そして結局は人は脇をしめて自分の間合いにまで
動かすべき相手をひきつけて力が楽に出せるから。
ノートパソコンだとキーボードとディスプレーが近すぎて、
どうしてもこの間合いが遠のいてしまい脇があまくなる。
でも次第に疲れるのがいやだから脇を固めようとして
上半身ごとキーボードに体をひきつけるようにしてしまう。
そのとき肩が上がりみぞおちを固めている。
だから疲れるし長時間そのようなストレス状態が続けば体によくない。
無論、デスクトップパソコンを利用していてもキーボードの置き場所が悪ければ
ここで説明したことと変わりない不都合が起きる。
そのような流れを私は自分の体を通して感じ取った。


このアイデアのヒントとしては、
優れた合気道師範は自分の脇をしめたベストな間合いで技をかけること。
相手が遠ければ体ごと近づき自分の間合いを作るし、
相手が自分の間合いに入るまで待つ。
パソコンのキーボードは勝手に自分の間合いに入ってきてくれない。
だから自分がそちらに近づかなければならない。
結果キーボードとの間合いは詰められるが、
ノートパソコンのディスプレーとの間合いはそれでは今ひとつ。。。。。


そんなことをいろいろと考えてみる過程が成長には必要だと思う。
人の意見の安易な受売りは決して身につかない。
自分の頭で考えれば自分のその後の行動を変えるだけの力となる。



よい師匠は的確な試練をあたえて辛抱強く見守るものなのかもしれない。