りっぱな師匠に合うときの出足の遅い自分への反省。

個人的なことですいません。

私の施術を受けていただいている合気柔術の道場に稽古をしにいかれているお客様から、
その道場の館長先生のすばらしい指導者としての人格、それに武人としての所作などを聞き及んで。

私も一度、ぜひその館長先生にお会いできればと思い願って見学のお願いをさせていただくメールを送りました。

すると、あまり間を置かずに、連絡が返ってきました。
詳しいことを書くことは差し控えさせていただきますが、
その先生にお会いすることはできない状況になっていますという内容でした。


私も気軽に見学をという気持ちではなく、
高貴な御仁にお会いしに行くという緊張感をもって、
いまの時期が最良と考えて連絡させていただきました。

 

そういえば、私が野口体操の野口三千三先生の講座を受けようとこころに思って連絡しようとしたら、
野口体操を長年なさっていた方から先生のご病気をお知らせ頂き、
ひとめでもお会いできる機会がその後にあればと思うも、その夢はかないませんでした。
そのようなことが、いくつか体験しております。


私があこがれの人にお会いしに行くというとき、
連絡を思いきるまでいろいろと考えてしまうタイプなのです。

それが幾度となく後悔をうむことになっていたと気づかされました。


そのようにならないための秘訣は、
本場の場と感じたら好奇心を膨らませて、
まずは早々にお会いしに行くことです。

 

私の施術の師匠は、そこのフットワークが絶妙な人で、
多くの場に顔を積極的に出しておられました。
本で読んだ知識を必要以上には重視せず、
自分にあったものかどうか、あった先生かどうかを、
皮膚感覚で感じることが一番大事だと教え続けてくれました。

そういう方ですから、私がその師匠がつねに数歩以上、私の興味関心を向ける先に取り組み始められています。
躊躇なく高額な費用を負担して第一人者といわれる先生の門をたたいて、
重要なエッセンスをスポンジが水を吸うように吸収しています。

 

私が、私の施術の師匠のような軽快なフットワークで皮膚感覚をもってたいせつな情報を即座に得られていたら。
今回、私が合気柔術を教える館長先生の見学がかなえられていました。


現実に人と会って呼び覚まされることは、
一部のそのような先生の身には備えられています。
ただそれはネット情報や本からでは、伝わらない。
皮膚感覚で、肌感覚で、実際にお会いして言葉を交わさなければ共鳴してはきません。
情報密度は「会う」ことのほうが、はるかにネットの動画やホームページ、本よりも高いのでしょう。
それは本やホームページは、そのような人を知り、会うきっかけを提供してくれる貴重な役割を持っている。
私は、その本などの本当の人との出会いの橋渡し機能のみで、ある程度のことをわかったような気になってしまう悪癖があります。

以前より、おかげさまでその悪癖を師匠に指摘されて軽減できるように努めて改善しています。

これからは、
オンラインでする会議ソフトを使いつながる時代に移行していくのかもしれません。
オンライン上でつながることで移動の負担がない利便性もありますし、
コロナの影響を受けないでコミュニケーションが取れる安心感もあります。


ただ私の師匠は極力オフラインで相手の懐に飛び込んでいく選択を第一に考えていくでしょう。
そうしたほうが相手の全人的に発する受け取れる情報密度が高いため、判断が狂いがこない。
本の文章や映像などで編集を済ませたものではない部分にこそ、知るべき価値あるものを認めていて、
その眼力は私も「まじめに凄い」と舌を巻いてます。

 


どうか皆様は、興味関心を持つような先生などが現れたときには、
出足を軽くして早々にお会いしてから、
さらに付き合うか、そこで付き合いをよすかという適切な判断をできるようになってください。


私が愛読している、「言志四録」には


『 一番良い人は宇宙の真理を師匠とする。

  その次の人は立派な人を師匠とする。

  その次の人は立派な書を師匠とする。 』

 

と書かれており、人を師匠とすることのほうが、書を師匠とするよりも重要だといいます。

その通りです。


いまさらながら、私がぜひ会いたいと感じた御仁を見つけたならば、
師匠の賢い教え通りに早々に足を運ぶべきでした。

悔やんでます。