稽古の基本は「独り稽古」

散歩中歩きながら、ほぼ100%、
合気柔術朝顔の手の型を一人稽古(練習)してます。

手首から先をくねくねと一定の規則的な方向で動かしつづけます。
新手の変なおじさん。
たまに、怪訝な顔をする人の目線を感じますが、
私は別に気にもなりません。

この稽古が進むことで、施術上でのできることが飛躍します。
どの施術のテキストを読んでも、朝顔の手を練習せよとか書いてはいませんが。
施術効果の優秀な施術家のなかに武道家も多くいるということが意味すること。

探らずにはいられません。



おかげさまで。昨日の施術をしていたとき、最近の朝顔の手が役立ちました。
以前の圧法ではあたりが強すぎて、場所的に手技が危険な場所だったから
かなり力をセーブして、私の身を固定し硬化させる形でなければ施術できませんでした。
ちょっとでも不用意な力が混じれば、施術事故につながる場所とわかりますから。
危険だから手を出さないという方針の先生もおられます。
それも正解だと思います。。
でも危険を回避する工夫をして手を出すというのも正解。

そのための工夫のひとつが朝顔の手。

それが精度よくできるように進めば、
お客様のカラダに結果がみえるのです。

だからこそ丁寧に稽古したくなります!


朝顔の手の稽古をしながら歩けば、新たな気づきを得る。
それから改めて岡本眞師範の映像をみると、
私が気づいたことはさらっと語られている。
それに非常に驚くことがあります。

「あれ?!なんだ、ここで、答えをいってくれてたんじゃん・・」
「そうか、このことをいってくれてたんだ!」とか。


以前みた映像だったが、
自分が経験値を高めてできる手前まで理解が進まなければ、
映像中の解説内容が腑に落ちずにいて記憶にさえ残らない。
そういうことでしょう。


シャドーボクシングをするときのような
イメージ上の相手を描き続けた一人稽古。


重要です。


「具体から抽象化」へのベクトルの流れ。
師範の解説は映像では言葉でおこなわれた抽象化されたものです。
多数ある情報が詰まった具体体験から一部のポイントを抽出し編集したものが語られているのです。

情報が削がれた言葉から具体化を図るベクトルの流れをえようとすると。
師範には当然のことと暗黙知に感じて説明を省いたこともあるでしょう。
基礎力が不足している私には、そのような削ぎ落された事実を補えない限り、
いわれて真似たとしても見えてこない部分が多いので、
なかなか解説された通りにできるものではない。。

稽古とは、削ぎ落された重要な情報部分を自身で補う想像力と理論建てて把握ができる必要がある。
稽古では、「抽象から具体化」という肉付けをしているのです。


だから一朝一夕でできなくてもよくて、
稽古には存分に時間を費やしていい。

個人的に、そう考えています。



それは手技療法を学ぶときも同じことです。



汗水流していない人、
足で稼がない人、
手を動かしていない人、
はわかったつもりにはなれたとしても、結果がともないません。
安易にわかったつもりになった人は、たいていは挫折を味わいます。


だじゃらがむしゃらに手足を動かし実験し実践し失敗を繰り返しての末に
腑に落ちて真実と思えることが増えだすことがあります。
実力が強化された後にしか味わえないたのしみがあります。




施術では、具体的に何をどうすればいいかというゴールを明瞭化していくこと。
ゴールにばかり目を囚われると、他に大事なものが出てきていても見過ごすことがあります。
成功を意識するあまり、身を固めたり視野狭窄が起きることもあるのでしょう。
ですがゴールが描けていない落としどころや着地点を描けていない手技は
どこにどう影響しだすかが予想もできない危険な行為に陥りかねません。
たいていが、ほとんど効かないか、マイナスに作用することになります。

「自分のゴールは〇〇で、この手技の一手で、自分はなにをかなえるものか」

そこがわかっているということが、人の身体に手技をさせていただく条件です。
無目的での手技をおこなう手は、えげつないほどのダメージを人にあたえます。
ときには本当にそんなへんてこな結果がでてくるので、
施術を学ぶ初学者の方が実践的に成果をだしたいなら。
明確に「〇〇さんの、✖✖の状態を、△△にする」と、こころのなかで呟くといいでしょう。



ただそれでも、功を焦って成果を取りに行く緊張は捨てなければなりません。
適度に気楽にリラックスしつつ、
適度に集中をしておれる状態へ。




できることが増えれば当初描いたゴールのビジョンは書き換わるのが普通です。
いつまでも同じゴールビジョンを保ち続けるのであれば、稽古不足だと思います。
日々ゴールの絵を描いては、その日の夜にそれを破り、新たなゴールを描きます。
カンペキに刷新することもありますが、加筆訂正の繰り返しが溜まっての後です。

そういったことができている人は、安定感ある力を発揮できますよね。



あと手技療法の手技技術は使えない未熟な技をため込むより、
数手でも完成度の高い技を知って使えたほうが役に立ちます。


ここ。
施術の専門化になるなら、
すそ野を広げてたくさんを学ばないと様々なニーズのお客様の対応ができません。

ですが、もし一般の方が施術の稽古をするとなると、
多くの手技を習得する時間もかけられないですから。
すると数少ない手技を覚えて稽古してやり方を自分なりに工夫できるまで進む。
そうして自分にとっての得意技を持つこと。
薄く広くは通用しないと考えたほうがいいのが手技ですから。
それがいいと思います。






他の多くのこともそういえることで。

ネット等で膨大な情報がえられても、
抽象化され編集を施されたものなら。
そこから価値を引き出そうとしても、真似しづらいことに気づくでしょう。
削がれた暗黙知や隠された事実を、粘り強く補うことです。

人が生まれたのは、体を使って得られた体験が人生を豊かに彩るため。
個人的にそのように考えています。

少しでもあらたなことにチャレンジし続ける精神が大事。
私もそのような行動をとれればと考えてます! ^-^



個人的メッセージを挟み込んですいません。
「ということで。
 もろもろ、Gさん、がんばってください!」