変化なければ進化なし。
これ、ハイキュー!!の音駒(ねこま)高校の猫又育史監督が烏野選手をみてこころの声でつぶやいた言葉です。
安定を取りに行く守りに入って現状維持か、
失敗を恐れずに変化に打って出て進化をするか。
これは身体をあやつるときにも言えることです。
どういうことかというと、
脳は基本、いったん受け入れた現状を『当然』『あたりまえ』と自己正当化をおこないます。
これって自己肯定の似て非なるもので、脳の怠け癖という性格にあやつられているのです。
自身の理想と現状のはざまで矛盾が生じていても「~の理由でダメが当然だからな」と信じて疑わないようにする沼にはまります。
たとえば、整体院を経営していて日々、首や腰に負担をかけてそれが蓄積した結果、ぎっくり腰になったとします。
「それって、かなり過酷な施術を熱心にしてきたんだな、だったら仕方ないよね。そうなることだってあるよね」
って感じたとします。
首や腰に負担をかけたから疲労が蓄積した。
⇒ よって、ぎっくり腰になった。
⇒ それって当たり前のことだ。
と瞬間感じたならば、そこに脳があたえる行為は、
「そうか、これが当たり前ならば、この通りがいい。ぎっくり腰をあたえるのが正解だ」です。
そこで100%それが当たり前とか当然とかいっちゃったら、変わる意味や理由はない。
変わらずにぎっくり腰をつくり続けるよう操作をするだけです。
こうなると、何度も何度も同じ状況に潜りぎっくり腰を繰り返すようになるんです。
これが脳にとって既知の事態を維持し続ける楽な手法。
そういう痛みがでても、それでいいんだと正当化したら現状そのままをすべてキープ。
どんな不利益であったとしても、脳はそういう現実を生み出すのです。
でも「現状、ぜったい変だ、何かおかしい!!」と気づいたとします。
「えっ!?それって自分のあたりまえなんかじゃあっていいわきゃないよ。
第一、当たり前っていうか当然というのは、思考停止して同じことを繰り返すだけの敗者でしかない」
昆虫でさえ、さなぎが蝶になって成長する。
いつまで自分は芋虫やさなぎのままでいるのか?!
当たり前っていう言葉を、殺せ!ナイス・キル!しないとダメなんだ。
そこで何か現状おかしいが100%感じた者の脳は理想に現状をあわせる変化を生んでいくだろう。
そうなると、以前、当たり前だといってみえていても気づけなかったことがあったことがわかり始める。
見て感じるものが、おのずと違ってくる。
そうした見え方が進めば進むほど、何かおかしい!という何かが、これがおかしいんだと原因が、
ラインマーカーで黄色い線を引いた個所が目に飛び込んでくるように見えてくる。理解ができる。
脳が当たり前を押しのけて、気づきを得て変化を受け入れ進化をし始めるために使いだされる。
そういうことってあるのです。
だから、実はお客様に動き方のレクチャーをさせていただくとき、
この方は当たり前度が50%あるな、とか100%だなとか見えてくるし、
逆に何かおかしい!度が80%来てるから、この方は化けるぞ!と感じる。
そして実際にそのままの進化が身体に比例して起きておられる。
当然とか平凡とかこれでいいといったら、そこにそれ以上のことが起きないよう脳が終止符を打つのです。
脳がそれ以上の思考をしません。
場合によってそれは真の変化を邪魔もする。
世の中は波乱万丈。
何かおかしい!!と叫んで、脳にもっと別な世界を持って来いとこきつかうよう命じるのです。
そうして手を尽くす。
それは今いる場所から、一足飛びに変化するというのは妄想です。
人は、一歩ずつしか足を出して歩けません。
左足を一歩出したら、次に右足を一歩だす。
それを繰り返して、着々と歩みを進める人は、気づいたときには山の頂へ順調に近づいていることでしょう。
それは、何かおかしい!と言ってみたらいきなり大天才に自分がなれるようなものではないからです。
そんな努力を求められない成長をえても、人は満足感を得ることもないですし、そこから教訓もない。
進化するにはそうなるために至れる技量や修練が必要で、それを集める小さな変化が重ねられること。
その場、その場で、そのつどで得たなんかおかしいの何かに答えを出し続ける道を歩むことで体力を増していくことを進化したというのです。
たとえ武道の世界でも。
師の言葉は大事なものですが、
安直に他の偉い先生のいうことをうのみにするのは取るべき方法ではありません。
最初はそこにある師の伝えたい真意がわからないため受け入れる必要もあるが、
やがては、何かおかしい!と言い放って、自分の両足と脳で立つときが来ます。
ただし、現状を自己否定や自己卑下をするのは無用の長物です。
一般的に自己否定をする前に自己肯定できる項目をもバランを持って目前に書き出さないままの自己否定は、
それは脳が現状を当然だとか当たり前だといって進化を邪魔する言い訳にしかすぎません。
そして自己卑下の気持ちだって、そうでしょう。
脳が考えを深める視野を狭めて怠けようとするときに摂る手ですから注意が必要です。
最後に、私が知っている武道の達人と感じ入った方がおられて、
すでにご他界なされた方ですが、ご高齢になられてもその技はつねに探求心を重ねられ進化を繰り返していました。
今のままでいいとか、今のままが最高だとかいった甘い考えはなく、
常に先に進み続けていた先生だったのでお弟子さんたちは大変だったでしょう。
そして同時に、変化なければ進化なし。
ということばを目の前で体現してくれた目撃者でもあります。
すばらしい勉強ができておられて、うらやましくなりますね。