「下を向くんじゃねぇ~!」 の私の考える補足:『だって、屈筋が緊張して伸筋がパフォーマンスが低下するんだぞ!』

Tverでアニメ、ハイキュー。

そちらを観ていてのワンシーン。

鵜飼コーチが、烏野選手が落ち込んだとき、
下を向くんじゃねぇ~!!」と叫びました。

選手たちを鼓舞するための、一喝です。

でも、それだけなんでしょうか?

頚部が前傾して頭部がさらに前に下にと首折れ状になるとき。
カラダの前面にある前進を抑制するブレーキ筋をかためて支えにして、
身体が前傾する状態を耐えています。
頭部という非常に重い組織を頚部という細い筋で支える関係上、
頚部のみでカバーできないような呼吸力の低下や上部への重心の異常がでれば、
カラダのほぼ全体といえる前面の屈筋群が自動的に緊張して力みがはいります。

屈筋>といわれるカラダの前面の筋群が硬化委縮してカラダを置く方向づけ精度が大幅に鈍ります。
同時に背中側のエンジンを積んだ<伸筋>の力の発揮は半減以下にパフォーマンスが悪化しています。
バレーボールをしているときに頭部がうつむけば、いいプレーができなくなるんですね。




人は、ものごとに一点集中しようとすると下を向いてしまいがちです。


電車内でスマートフォンを観るときもそうですよね。
そのとき、頚部に何が起きているか。


想像できますよね。



解剖学を知っていれば、
頚部裏手にある<項靭帯>の支えが効かず、
首凝りに陥って頸動脈を圧迫し頭部への血行は悪化しています。
それを長年にわたり繰り返せば頚椎が器質的なずれといえるような状態異変から頚椎動脈(頚椎内部を通る動脈)にも、
血行が悪化するところまで、悪化の歩みが進むことになります。



頭部血管と項靭帯.png


それって生理的に起きている当然の状態です。

ですから施術をするときに、
お客様の頭部と頚部の立ち位置の様子を見て、
それから頚部内部の動脈への負荷を読みます。



たとえば、昨日、施術でお客様の歩き方をチェックさせていただいたとき。

ひさびさ、頭上にペットボトル。
置かせていただきました。


どういうことかというと、
人は歩きだしの2歩目くらいに、癖で地面のほうを見るという人が多いと気づいて、
それをお客様本人にも自覚を容易にしていただけるようにしたいので、です。


何気なく下を向いた瞬間。
まさにそのようなことをしたとき、身体を前進させるときのブレーキにしかならない屈筋に緊張が走らされて、
合理的な歩き方の邪魔をしているのです。

そのことに気づくかどうか。
大事なことです。
それを気づいてウォーキングをしたほうがいいにきまっており、
背中側の伸筋が収縮し伸長することで第二の心臓のポンプの役割を果たします。
そのことで動脈の血流が保てるのです。

人体の末端中の末端の毛細血管組織まで血流を送るには、
心臓が15個必要だといわれているんです。
だから背中側にある伸筋の動脈をミルキングアクションする力は、
14個分の血流をうながすポンプの役割。

それが下をむいて頭部をうつむかせると背中側の筋肉群伸筋が力発揮のペースが減じられていき、
14個分の血流をうながすポンプの役割が果たせていません。
血流促進の阻害要因が不用意に下を向くということなのです。



なので。

頭部にペットボトルを乗せて歩く練習をすると。
歩くときに2歩目に下を向く癖があれば、ペットボトルが頭上から落ちます。
そうならないよう、意識を保つための補助具としてペットボトルが使えるんですね。


だから歩き方を学び始めるというきっかけを得たとき。
何度でもそれを挑戦することもできるのですが、
いっとうさいしょに、ペットボトルを頭に乗せて、そのペットボトルを上に押し上げる反力で自身の首を伸長させる術をもって進むよう、
身にしみこませていくとよいでしょう。
運動神経系の学習は、無意図的に動いていては、何度繰り返し動作をしても身につきません。



単純に頭にペットボトルを乗せるだけなら誰だってできるでしょう。

頭にペットボトル1.png


でも頭に乗せたまま歩くとなると、意外にむずかしい。
カラダの軸の乱れからくるブレ、動きの偏り癖がわずかでもあれば容赦なくペットボトルが落ちてしまう。


頭にペットボトル3.png


ちなみに、私が施術をするとき。
そのときも患部を観ようとして下を向かざるをえないときがあります。
手元を患部に近づけている場面を観ようとしてしまう。。。
手元を肉眼の眼で見ずに、手で触れて気の発せられる情報を読めるようになると、
身を崩さずにやっていける施術者になれます。
なおかつ、これができるようになると技術力が飛躍します。。。でも、やってみると慣れないと非常に難しかったりもするわけですが。。。

自身の身体を操ることができているかどうか。決定的な施術力の良否になってそれは跳ね返ってきます。

うまくなりたいから何十時間練習しても、何千かい同じ手技を繰り返しても、
下を向くものの手技は観察力がお取り体を操る力も劣ります。
本人的にはそれが気づきづらいわけですが、
周りにいい指導者がいれば、そこは容赦なく注意を喚起します。
結果、意図したとおりの精度が乱れて効きが悪くならないよう、頑張れる人になるのです。

それを知っているため、私は施術をなさる先生の首の様子を目ざとくチェックしています。
どれだけ手技を知っていても理論をご存知でも、その先生の身体状況以上の回復が患者にあたえられることはないので。


だって施術者の手技は、身体を磨いて雑になって動きの汚れを落としていけば、効きが確かに上がる。
なぜならそうした身体内部の追求をしていく観察眼は、生の人体内部を質感をもって理解を深めます。
こうした理解は本にも書かれていませんし、他の先生から教えていただいてわかるような質のものでもありません。
それでいて、おおかたの人のカラダ内部の状態と共通項が見出せるところでもあります。
この見識が最大限、お客様の施術を組み立てるときに役立つのです。
これは筋膜リリースの場合は、ということではありますが。
でも他の手技療法でも、そういうことはいえていることもあるのかもしれません。