背中から生えたもう一本の手の感覚を持つこと

手を使うとき。
手先、指先に力みが入ることが多い。

指先を使おうとすると、
腱鞘炎になる部分の筋肉がぴーんと強く張る。
つまりその部分の筋肉が収縮する。
自分で無意識に力みが入っているときに、
尺側手根屈筋や指伸筋を触ってみるとよくわかる。
このときには手の指の感度が悪くなっている。
感度が鈍れば脳に入る情報量が減る。
その情報量を補おうとして、またがんばって力む。
その悪循環が起こる。

するとパソコンを使っていても疲れる。
ボディワーク中に体を触るとき、
接触したときの情報量が少ない。
ので、いい加減なことをする。

合気道の流派のひとつに『八光流』がある。
独特な技の教授方法でスピーディに技を伝えていく。
その八光流の手の動きに、
肩甲骨から見えない手を伸ばしその手を制御することで、
実態の手を動かすという教えがあった。

見えないものだからはじめは「想像の世界」。
その想像の世界をさまよい、路頭に迷うときもあるが、
ごくごく素直な人ならば、
「あるように思う行為」が、
リアルに脳に描かれさえすれば、
脳はそう錯覚しそのように動く。
最初はぼやけている絵だが、
次第に千手観音の肩口にある手のような実態がリアルに感じられる。

その感覚がつかめた後は、
非常に強いテコの効いた手の力が出ることに気づく。
手先が体幹から離れれば離れるほど体がぶれるはずだが、
そのぶれも消える。
手の腱、特に尺側手根屈筋などの力が入ったときの、
力の方向が変わっているのに気づく。
力んでいたときは手首が上に反り返る方向に力が入り、
制御できるときは小指側の指がどんどん伸びていくような伸張感が出る。
バレエをしている人にはとても美しい指先の表現力が付く。
武術をしている人には「曲がらない腕」ができる。
呼吸の深さが保持できる。

だからワークを教えるときに手が使えるのは、
この仮想上の手の感覚ができてからですよという。

もちろん手を使うやり方もあれば、
脚を使うときのやり方もあるはず。

手は『肩甲骨』からのイメージハンド。
脚は『腸骨』からのイメージレッグ。

手は足と比べれば楽に体感できる。
だが脚は体を支える宿命があるので、
理想的な立ち方ができていなければ体が倒れる。
仮想脚をイメージできても、
力んで支えなければ立てないのでは、先に進めない。

難しいですよね。