手の内のトレーニングをすればするほど、気が鎮まり集中力が飛躍するワケ

昨日、手の内の練習のときに気づいたこと。

仰向け寝で、左手の肘をついて固定した状態で、
尺骨(小指・薬指)・橈骨(人差し指・親指)を別々に特殊なやり方で
屈曲させたり伸展させたりという練習をしていました。

 


(1)尺骨を体幹方向へ引きながら小指・薬指を屈曲します。
右手で左手の小指・薬指を曲げるのに力がいるような負荷をかける方向へ引っ張って力の入り具合を確認しながら。
※ ポイントは、動かす左指以外は、微動だにせずそのままの静止状態でいるようにします


つぎに
(2)橈骨を体幹から遠位に向けて親指の腹と先を前方へと押し出します。
※ ポイントは、動かす左指以外は、微動だにせずそのままの静止状態でいるようにします


最後に
(3)手の甲を立てるようにしていきます

 


文章化すればカンタンなこと。
ですが、私がやってみるとなかなかうまくいかない。

 

まず、初歩的なところで陥りやすいミスは、屈筋優位の状態で力んだままの手で動き出すこと。
屈筋が優位な手の指は、思うように各指を分離して動かすことができないためです。
動かす指以外が動いたら、
・精密な操作も不可、
・肩甲骨が回転できません、
・広背筋の効きが低い。非力。
・その他、、、


なので伸筋優位の状態を手首から先でこしらえてから操作をし始めます。

ですがその意識だけでは足らない。

たとえば(1)の小指と薬指を曲げる操作ですが、
屈筋優位で曲げればボロボロですが、伸筋優位で動かすにしても、
つい中指が無情にもつられて曲がりだすこととなります。

動かす指は動けと命ずればそのまま動き出すため、さほど苦労はいりません。
だから動く指に意識を向けたい気持ちを斬り捨てて、
つられて動こうとする指を動かさずに静まり返ったような空間静止をすることへと、
自然に細心の意識が集中していくべきでしょう。

そうした意識を持って手の内の構えをした瞬間、
周囲の空間が鎮まって感じられ意識の集中力がグンと跳ね上がります。

 

この操作を修練としてやってみればやってみるほど、
「動く指につられずに鎮まる静止状態を作ること」が真の課題だと気づきます。


固定した安定感ある部位を確固として優先して創り出すのです。
そのようにしてつくられた安定した大地の上に動作する部分を乗せる感覚です。
そうやって考えていくと、手の内の操作もしやすくなります。

これは「静中動」ですね。


そこに気づいて集中して修練しだしたから、
頚部のリリースのときに、手がすべって忌避部位を傷つけることが避けられるようになりました。
他のすべての施術をするときの力の微妙な入れ具合や角度、圧の質、
リズムの刻み方などを精密に制御する必要な施術をかなえてくれました。


動く指の土台を安定させるのは、
静止した手の他の指や手のひらや前腕の骨や体幹部なんですね。


あと左手の内のみを練習をハードにしていて気づいたことです。
左手の尺骨をかなりな量、軋み声をあげつつ動かしていたとき。
右脚のひらめ筋あたりが痙攣。
クロスパターンでつながってるんだなと思いました。
そしてもうひとつ。
寝た状態から起き上がって立った瞬間、
左脚部の腓骨の骨を動かしたつもりはないのだが、
腓骨の骨、それと腓骨を結ぶ靭帯部分に激痛を感じました。

私の膝は下脚が外方へとそれているところがあって膝に負担をかけてしまっている足です。
そのようになるよう固定された筋腱靭帯が膝周り、足首回り、前脛骨筋、後脛骨筋や腓骨筋に、
正しく並べられていない整理されていない不安定さがある。
まさにそういった不安定さを感じる部分が痙攣や痛みを覚えたのです。


人の手は、一般的な現代人の手の使い方であれば、
手を操作するトレーニングのみで、
これほど膝から下に影響がでることはないでしょう。

それが犬や猫のような前足といえるような動きを作り出すことで、
深い身体組織内の関連するレベルで手の操作が足まで連関する影響が波及したのでしょう。

このことを観察してみても、
人の手も、前足として手を使っていた祖先の影響が確実にいまも内在されていることがわかる。

最近は脚部の操作トレーニングは一切していないものの、
手の内の作り方を自分なりに練習しだしてから、
あきらかにグラウンディング感覚が安定的になってきた。
それと同時に、意識や精神的安定も図られるようにある。


ただし手の内という人の手を前足のような使い手にするという大きな変化を体に覚え込ませるとき。

激烈な眠気やだるさといった好転反応がでた。。。

ただ、いつもだったら肩甲骨部位が過度に力を発揮し急激な動きを強いられるとき。
呼吸ができなくなって吐いたり、意識を失って倒れたりということもあったのだが。。

そのような不具合感は、いまのところ、まったく出てきていません。

それは安定的に理想的な前進ができているのかもしれませんね。


運動量はめっきり減っているものの、
体力値は手の内が見えた後は飛躍し続けています。


いままで、動き方のノウハウを右往左往しながらかき集めて研究してきたが、
気が付けば、何年も前に岡本眞師範がいわれていたままのことを、
すなおにもっと本腰をいれて修練していたら。。。
かなりの時間的なショートカットができたと思います。


物事の重要性がわかるのは、それにご縁をいただいて、
それがわかるまで自分を高める正当な努力をし続けたことからだと思います。