施術の仕方を関心ある人に伝えるときですが、
あんまりきついことはいったりしません。
特に一般の方やまだ施術に不慣れな方に伝えるときには、
お伝えするのが私自身の時間を奪われていると感じることがなければ、
私も楽しそうに教えています。
いくつかの施術方法を体験的に学習してもらい、
興味を深めていただければそれで十分な成果です。
だから
私:「Aさん、そうそう、そんな感じでもいいですよ。
でも、こうして見たらもっと効いた〜って感じになりますよ」
Aさん:「ほぉ、ほぉ。なるほど、ほんとだ緩んだよ〜!」
というような。
微笑ましい感じです。
「施術は簡単だ!」です。
ただ中には本当に私の施術を体験して、
他の施術とは違う何かを感じ取っていただいたお客様がいて。
真剣に指導して欲しいということを依頼された先生がおられました。
そのときは状況が違います。
かなり手厳しく私も観ていきます。
日頃にその先生がするマッサージ方法を見学させていただきました。
いつもならば100人の施術者がいれば100通りの施術法がある、
そういうスタンスをとる私は、
「なるほど。この点とこの点が参考になりました。
勉強させていただきまして感謝いたします」という。
互いのセッションを観て良いところを学び取り成長する。
それが目的です。
一切の相手に対しての否定はいたしません。
それは私のイメージでは、
侍が互いに真剣を抜き合って争わないようにしようとするため礼を尽くした。
不要な争いを避けるためです。
なかにはひどい話があったものです。
他の治療法を自分がそれに深い知識がないにもかかわらず
「あれはなってない!」と否定し、
私が「深い知識がないのになんで否定できるの?
勉強して分かってからなにか言うべきじゃないの?」と尋ねる。
すると「あんなもの勉強する価値ないから」という。
結局は「真価」を見極めることもしない評論家です。
私がその方が否定する手技をサンプルで実演すると、
ときとしてかなり使えるものだったと気づくときも。
そのようなことは私の親しい同業の方に対しての助言のときしかしませんが。
実践家は、使えるものはありがたく学び取り使えばいいだけのこと。
つまらない否定をしてお客様への対応力が鈍るのはよくないのです。
そんなこんなで、
私の施術法を教えてほしいというとき。
「施術は簡単だ!」では済まされません。
私が私に対してダメ出しする胸の内の言葉をそのまま伝えていきます。
つまり
「それはどういう意図があるの?」
「それで十分対応しているの?」
「まったくセンスがないよ!」
など。
私は施術をしながら常に考えています。
自己否定を繰り返していく。
私は特定の師がいるわけではないのです。
師を持たなくとも一人前になるためには、
モチベーションが高いだけではだめです。
追求心や説明力があってこそ叶えられる。
私にぜひ施術の手ほどきをと依頼したBさんには、
Aさんとは違う対応となるのです。
Bさん:「深層筋を緩めるマッサージ方法を書いてある本では、
この筋肉を5回を限度にマッサージをしてというようなことが書いてある」
というと、
私:「それで解けてないなら、解かなくてもいいのですか?」
とマッサージをした部位を指摘する。
つまりBさんは、一般的なやり方ではそれで十分だといわれている。
だからそのレベルまでできればいいと考えているのです。
たとえ施術を受ける方の体が解かれていなくとも。
もちろん解いてあげたいという切なる願いはある。
だが「一般的なやり方ではこれで十分だと認知されている」という
落しどころがあって。
そこから先にいこうというきっかけがつかめていないようです。
それはとてももったいないことです。
その考え方について指摘させていただきました。
それから私が考えていた施術アイデアをいかして問題箇所を緩めました。
先程は深層筋を解くマッサージをしていたというBさんが、
実は表層筋〜中層筋をようやく解いていただけだったということがわかる。
一部の深層筋が緩んだ時の状態を触ってもらうと、
実にしなやかにその筋肉は蘇っている。
私:「このお客様は他のどこの施術院でも体が硬すぎてさじを投げている。
それは辛い思いだろう。
でも、考えてみてください。
Bさんがその終止符を打って差し上げることができるようになれれば」
Bさん:「そうなれれば、うれしいし。経営的にも安定するだろう・・・」
私:「私は時間の関係上、すべての私の技術をお伝えすることはできません。
ですが私のような学習能力もそれほどなくて不器用な人間でさえも、
真剣に取り組んだら必ず成長できるのです。
がんばればきっとすごいことが起きますよ!」
それでその日の講習は終了しました。
そして15回ほど施術を受けられたそのお客様をBさんが同席してチェックする機会があった。
実はそのお客様自身は、私がどんどん解いていって体が変化していっても、
体が悪い方向へ向いているわけではない。
だから不快感もないし、その人の本来の状態に近づくだけという
極々あたりまえの状態に帰っていくだけだから。
大幅に自分の体が安定していってもそれほどの感動は、
正直言ってあまりないものです。
それよりも、つい最近起きた筋肉痛の方が気になる。
それが人間なんです。
だけどさすがはBさんも施術をしている先生です。
その目の前のお客様自身に起きた変化に気づく。
Bさんは、
「自分が施術をしていたら、正直、ここまで解けるほどのことはないだろう」
とおっしゃっていました。
そのお客様は、すでに20ほどの施術院等を通っては辞めを繰り返した。
だから慢性的な問題点も多く簡単に解けるような方ではなかったようだ。
私:「このお客様は施術を受けなくとも、
急になにか病気になってというわけじゃない。
だけど仕事の休みの土日に泥のように眠るだけで過ごしていたという。
それが毎週のように外出できるようになってきた。
それに他の施術院を転々とするのは精神的にもつらいことだから。
そこから抜け出すことができてくれれば素敵なことだと思います」
ここまでいくと
「施術は簡単だ!」
から
「施術は感動だ!」
というように変わっていく。