患部をかばう反射悪影響は怪我より長引く

体の反射のふしぎ学―足がもつれないのはなぜ? (ブルーバックス)』という本があります。
こちらの本では「反射とは生命維持のための省エネ対策だ」というんですね。


反射といってもいろいろな反射があります。
たとえば臭いは過去の記憶を呼び覚ます装置だといわれることがあります。
住んでいたトイレの外側に沈丁花という花が植えられていると、
沈丁花の花の香りをかぐとトイレのことを思い出すようなこと。


「トイレ」と「沈丁花」はもとは結びつきようがないものです。
ですが街を散歩しているときに沈丁花の香りを嗅いだとき
必ず「トイレのことを思い出す」というんですよね。


ある香りを嗅ぐと過去の記憶が反射的に脳裏に浮かぶ好例です。


反射的に脳裏に必要な情報が浮かぶことで何らかのメリットが、
その裏に隠されているはずです。
生物は一切無駄なことに力を浪費しないようできています。
無駄なことにストップをかけなければ、
無駄な浪費が積もり積もって生命の危機を招くためです。
原始時代の人間やまたはそれ以前に
香りが記憶を呼び覚ます反射が役立っていたのでしょう。


またたとえば怪我をしたとき。
その怪我の具合が深刻な場合は特に問題になるのですが、
怪我を押して動かなくてはならないとき。
その怪我をした部分をできるだけ使わないようにかばって動きます。
たいていが自分では気づかないうちに
「この部分の関節を伸ばすと痛い」とか
「この部分の炎症で筋肉が伸ばせない」とか。
すると「この部分を伸ばしたり使ったりすると
痛みがでるから使わないようにしよう」と
痛みが少なくなるように患部をかばった使い方をしていくのです。
最初はここを伸ばすと痛いから伸ばさないように工夫したかもしれない。
ですが次第にそのようなかばうような工夫をしなくても、
ひとりでに患部をかばう動き方が反射的にできるようになる。
なんら思考のプロセスを通さずにその部分をかばい始めるのです。


そして怪我も相応する期間を過ぎれば炎症などは徐々に引いていきます。


怪我が治ったからその患部をかばう使い方をしなくてもよくなりました。
だからもうかばわずに足の故障であれば両足を均等に使うべきです。
ただ、ここで問題が起こります。


すでにかばって歩く動き方は反射により無意識におきてしまうのです。
つまり反射とは先ほどの沈丁花の香りを嗅いだらトイレを思い出そう、
そんなことを考えなくてもひとりでに過去の記憶が呼び起こされるのと同様。
かばって歩こうと思わなくても
痛みから身を守るプロセスが反射化されている。
思考してこの足をかばうためにはと考えたのは故障した当初で、
あとは反射化され思考をはさまずに動いてしまう。
痛みや不快感に恐怖を感じ避けたいからの反射は根強い拘束力を持ちます。


そして恐怖心を避けるために反射化された動きを更正させようとすると、
左右均衡を保たせるような改善を指示しているのに強い違和感を感じる。
それで怪我が治ったが体をかばう体の軸をゆがめるような反射が残る。
怪我は時期に治るが反射はその何倍もの長期にわたり悪影響を与える。



思考をはさまない反射的な動き。
それが曲者なのです。


体を故障なさったときには、
このようなことを念頭におき
「今のかばう動き方は一時的なものだからね」
と体に語り続け意識し続けるといいようです。
体をゆがめ続ける反射が治癒後に改善しやすいからです。


そうなさっておられる方は賢明ですね。^-^)