散歩をしているときの呼吸。

ここ数週間で、
太田道灌の山吹伝説の紅皿の碑や池上本門寺駒沢公園や、
結婚できない男』のロケで使われた大崎駅近所の御成橋や、
他さまざまな場所を踏破しました。
おそらく各目的地への行き帰りに、
10キロ前後歩いている計算です。


東京っていいなぁと再確認。
日本の歴史に江戸時代の人と同じように歩くという手段で移動してたどり着く。
そのことに楽しさを感じています。


でこの長距離を歩くには私なりのコツがあります。

息を吸うときと息を吐くとき。
この二つの動作がワンセットになって呼吸と呼ばれる運動がなされます。


ことさらにこんなことをいわれても。
そんなことをおっしゃらないで。


人は力を発揮するときに、
自分の体のなかに力を取り入れてから、
次にその取り入れた力をより効率的な仕事をさせるよう工夫して発揮させる。


また気功で人を癒そうとするときにも、
自分の体のなかにリアルタイムに力を外から吸収して、
次にその取り入れた力をより効率的な仕事をさせるよう工夫して発揮させる。


呼吸は陰陽の現れのようなもの。
呼気と吸気が二極ワンセットになることで動きや存在が表現されるものです。


人は外界から力(気のようなもの?)をいただき、
それを体内で純化してから外に返すことができる。
このサイクルが順調なら、
気功で人を癒すときにも癒す側の疲労は減少するでしょう。
もし外界からリアルタイムに力をいただけなければ、
いずれ自分の体内エネルギーを枯渇させるでしょう。
がんばりすぎちゃうと水泳をしていて息継ぎをしないで泳ぎ続けるような苦しさを味わうのです。
適度に息継ぎをすればずっとずっと楽になるのです。


がんばりすぎちゃうと息を吐くばかりで息を吸うことを忘れてしまう。
息を吐くときに力が出せるんで
ついつい息を吸うタイミングを逸してしまう。
これが呼吸を乱すことになるんですね。


私が散歩をしているときの呼吸は回りから力をいただきそれを体内に取り込む感じです。
それを自分なりにエネルギークラスタが小さく分けられ整合し安定した状態にイメージして外界に返す。
外界と深くつながりエネルギーをいただくことに感謝する気持ち。
そして自分の体があたかもフィルターのようにいただいたエネルギーを純化させていく意識。
そう瞑想に等しい意識で散歩しています。


(力を外界からいただく【吸収する】←→力を外界にお返しする【手放す】)

というような感じでしょうか。
いただくこととお返しすることです。



すると動きながら休み動きながらリフレッシュしていく感覚がつかめてきます。