太田道灌という人物をみて

ボディワークとは無関係の事なんですが、
東京各地を歩き回ると『太田道灌(おおたどうかん)』の名前がでてくる。


詳しくはWikiPediaで。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E7%94%B0%E9%81%93%E7%81%8C


道灌は江戸の基礎を築いた室町時代の武将として名高い。
どのような人物か興味を持ち小説太田道灌を読みました。


父親の扇谷上杉家家宰太田資清(道真)は知恵者として知られる人物。
室町当時は武蔵野国は蛮族が住む土地と言われていました。
あくまでも京都付近が都の中心でしたから。
そのなかで道灌は幼少に鎌倉五山で学問を修め足利学校でも学んだ。
難しい漢詩もすぐ記憶する記憶力。
そして機転の利く頭の回転のよさ。


医薬学、史学、兵学、和歌漢詩などに通じる。
30数回の合戦を戦い抜き上杉家の危機を救いました。
その武功は他に称えられた。


恥ずかしながら太田道灌の名は日本史教科書で人名を記憶した程度。
ですがずいぶんすごい人物だったのですね。
その人物像に惹かれました。


道灌の姫が天然痘になったとき、
朝鮮人参を用意させ濡れ手ぬぐいで額を浸すようにという。
そして過去に読んだ史実から天然痘に関する霊験新たかな
山城国の「一口(いもあらい)稲荷」を思い出し平癒を祈願した。
姫は全快したと伝えられております。
そのとき感謝の思いを表し建てた太田姫稲荷神社は今も神田にあります。


医薬の心得もあったのですね。
ちょっと驚きました。


道灌は和漢、医薬学、兵学、史学に明るいことで、
多くの苦難を潜り抜けてきたようです。


現代でも心身ともに卓越した人物には
この4つの学問に類似した内容を身に付けているものと思います。
多かれ少なかれ和歌を詠むようなものの哀れを知り、
同時に生きるための医学、
戦いに勝つための兵学(武道)、
過去を学び今に活かすための史学。
これらを欠けることなく修めていく。
それがどれひとつ欠けたとしても江戸城は築くことはできなかった、、、、、
かもしれません。
巧みに和歌で人心をつかみ、
江戸城内に武術修練所を作り、
無益な殺生をせず勝つ方法を兵法から学んだ。
医学は大切な自分の娘を救うために用いて
後世まで人徳を知らしめたのですからね。
これも人心掌握になったはずです。^-^;


なんだかこの年になり学問の大切さがわかりだしました。
学生当時はひたすらしぶしぶと覚えていただけでしたね。
記憶力と得点意欲だけが頼りでした。
今は少し違った心境で取組めそうな気がします。