人も脱皮を繰り返して何度も生まれたてに帰っていくものなのでは

先日、友達の豊橋方面の治療師さんとお話をしていたんです。


話してみなければわからない深い悩みが人それぞれあります。


私も偉いことをいえるような立場ではないですし、
別に偉くもないのですが。


自分なりに生きていくに際して、
信条のようなものがあります。



将来へ脱皮をするとき古い皮を破る痛みにたえる時期がある。
古い皮の下で生命力あふれた自分を養い育てていく時期です。


不要なものを執着せずに整理し、
これからの必要なものに気づく。


そして希望を見つけ目を輝かせ、
死力を尽くして次に進むのです。


肉体的苦痛も気合で押し出そう。
ただ私はたまたま施術をする人ですから、
知力で乗り切るように努めていますけど。
それでも結構きついことはありますよね。



他人の助言は別に見向きせずともよいでしょう。
人の意見で左右されるときは自分の頭で考える。
考えて考えて考え抜く。
そうした上で初めて他人の意見は聞くべきです。


結局は自分の人生は自分にしか後始末はつけられない。
すべてにおいて自分の責任で生きていくものなのです。


自分がやりたいようにやるしかありません。


主体的に欲しいものめがけ突き進むならば
人生が波乱に富んでも健康なら乗り切れる。
選択ミスしても経験知が増えて次に活かす。
そうして賢くなり思慮深さは育つものです。


格好の悪いことをしていても、
今の身の丈ならばそれでよい。


そう割り切るしかないですよね。


ですが行動するうちに、
古い皮の下にひとまわり大きく成長した自分がいることに気づくはずです。


そうやって何度も脱皮し、
そのたびに皮膚の下から現れる生まれたての自分が生命力を蘇らせていく。



人生が日々そうであって欲しい。


私は巳年生まれですから脱皮願望があるんでしょうか。
私自身、正直言って精神的に強いほうではないんです。
だからこそ普通に生きていこうとするだけでも、
これだけの必死な意気込みが必要なのですよね。


とりもなおさず、
彼に、がんばって欲しいと願う今日この頃です。