保食神の前で


私は夜に近所の神社にお参りに出かけます。


かならず地主神、八幡様、お稲荷様、大国主命(大黒天)と、
各々の神様に10円ずつ、合計40円を握りしめていきます。


古事記日本書紀に現れる神様以前にも神様はいたはずです。
自然神としてその土地を守ってくれる地主神。
地主神が先におられたという考えに基づきます。


気を鎮めて直感力を磨くため。
今の時期はセミの羽化を観察するため。
蚊に献血をするため。^-^;


神社に行くとできるだけ目を皿のようにして、
神社内のシンボルマークや灯篭や鳥居や様々なものを観察。
また神社神様関係の豆知識を仕入れてきて
そうして自分なりに解釈を加えていきます。


そうすることでいつも新鮮な気持ちでその地に立つことができます。



たとえば、
あるときお稲荷様の末社前に佇んでいたとき。


お稲荷様の別名を保食神(うけもちのかみ)と申します。
文字通りをとれば、食を保つ神様ですね。
ずっと食べ続けて行けるようお願いする。
それがお稲荷様なのですよね。


ただ私がお稲荷様の前で得たビジョンは、
度々にわたり現れたものです。


保食神ということは、
食べ物になるものをくださる神様でありますが、
その実は食べ物を順繰りに連鎖させていくよう
やりくりしてくれるものなのでしょう。


野菜からお肉までの食材となりし命たち。
その生命をいただき、
私の命はつながれていきます。


ありがたいことです。


ただそこで終わりません。


私の身が捕食される側としても並んでいる。
お稲荷様の前では平等なんです。
野菜も人間も動物も、何でも。
自然の中に取り込まれている。


人間が食べる側だけに立つならば見えてこないものがある。
食べられる側に立たねばつながれない気持ちがありますよ。
その視点に立ち食物をいただくとき。
その生命と一体化する感謝の念がわき起こりました。


以前の日本の大量の食物を廃棄することは、
自分の身を無慈悲におしまいにさせられる。
つらいことをしているとしか思えなくなる。



以前は蚊に食われれば、
なんでこやつらは攻撃してくるの?!といらいらしたのですが、
不思議と出血多量で死ぬわけでなければまったく問題なしです。
自分の血が受け継がれるのが蚊。
そう考えるようになったとき。


かゆみはあるのですが、
あまりいらいらしない。



心が変われば物事の受け取り方が変わるものだと感じました。



この感覚が芽生えたときに、
仕事をしていて感じていた
体の辛さも消えました。


もちろん体はつらいのですが、
心は鎮まりきっているのです。
それが救いでした。


そうなってから施術の進化は早まりましたね。
そのような自覚を持っております。


自分なりの身を分ける法の表現のひとつが仕事なんだと思う。