施術者の講習会の受講について

友人の施術者の方が、
ある施術家の講習会に高額を支払い参加したそうです。


その主催した施術者は、
実に見事の手技でバッタバッタと患部を手直ししていく。
見学をすれば見とれるほどです。


その手技を習ったのですが、
一向に自分がそれと同じ事をしようと、
習った通りをしているつもりですができない。


自分の手に馴染んだもの、
自分が深く理解したものしか、
自在に活用できるものではない。



例えば高名な日本画の画家が、
さらさらさらっと鉛筆でデッサンをしたのですが、
そのときの絵が鉛筆画なのに対象の女性裸婦画が
生命感あふれる躍動的で色気があって。
まさに一分程度のスピードで書かれた。


それがこれほどまでに芸術的だなんて。


不思議とそのときに画家に握られた鉛筆が、
画家の魔法の手より先に欲しくなっていた。
(ここまでは私の実話^-^;)




もしその鉛筆を売ってくれるならば、
50円の鉛筆が500円には化けただろう。


なんだかその画家が握った鉛筆には魔法が宿り、
それを持てば自分もうまく画が描けるのでは?
そんな錯覚をしたから高いお金を支払いたくなる。


もちろん、いざその500円で鉛筆を買っても、
それを握る人間が50円程度の手しかなければ、
絵がうまく描けるような事にはならないのです。


画家は多年に渡り研究して力を養ってきた。
その独自の修行のバックボーンがあるから
ひとつのタッチにも心血が注がれ集中力が
段違いに違っている。
それに画家の眼。
そしてどう描こうかと画用紙に向かう構想。


姿勢や呼吸も一流の芸術家は合理的だ。
無理や無駄や無駄がなくなるよう努力。
二流ならばそれに気づかず成長しない。


むしろ外見上には見えないものが、
その絵の価値を決めているのです。


そう考えると実際に講習会で手技の実演を見せてもらったならば、
講習内容の流れを見る以上に大切なのは、
手技をしている先生の一挙手一投足から盗めるだけ盗むだけの力。
ここが一定以上のレベルに達していないと、
なかなかコピーできるようなものではない。


専門書レベルの人体の基礎になる解剖生理学がわかるのは当然で、
そちらがボディワークに適したものへと応用転化されていること。
ときには経絡の詳細知識やトリガーポイント、
手技をおこなうときの効率性を理解した身法、
とても大切な下準備ができているといいです。


すると同じ実演を見てもポイントが浮かび上がって見えてくる。


講習内容の流れを概要をペーパーでもらったりメモした。
あとはそちらを手がかりに自分なりに噛み砕いて肉付け。
自分のものにできるまで、手に馴染むまで研究をして深めるところまでを見越しておく。


多くの場合は、そこまで深く研究をしないで鉛筆を買ったが、
高価い鉛筆を買わされて使いものにならないんだよとぼやく。^-^;


私もそんな経験、あります。
時間が無駄になった感じで、
お金も無駄になってしまう。


できるだけ自分の興味や関心を大事にしつつ自己の技術レベルも把握して、
その上でどちらの講習会を受講するか選ぶ必要が出てきます。


ここが施術者にとって、投資か浪費かの分岐点。