深層リリース、リセットスイッチや、休業の思いも含め徒然としたこと

昨日、施術をさせていただいたとき、
学生時代、それよりももっと以前から困っていた皮膚の痒みなどが、
最近、弱化してきているようだとお客様がおっしゃっておられました。


かゆみ、つらいものです。


かゆみがあるのが当たり前の生活。


それはしたことがある人でなければわかりません。


私ごとで申し訳ないのですが、
すでに亡くなりました私の父。
生前、左官業を営み体を酷使して腰部椎間板ヘルニア
その際に近所の医師に処方された薬の副作用から、
背中が一面、いつも腫れたりブツブツしたりひどいかゆみ。
それでよく、「背中に薬塗ってくれよ〜」と言われました。
今思えば、ステロイド系の強い塗り薬だったのでしょうね。
対処療法として効果があるのかもしれないが、
徐々に症状は進行していく。
同じ薬ではまかないきれずに、
副作用などが強くなるし自ら副腎皮質ホルモンを生成する機能を切り取るほどの、
強いステロイド剤にしていくしかなかった。


痛み、それも嫌なもので凹みますが、
かゆみ、それも想像以上に精神の集中を妨げていくものです。
そのどちらも、家族であっても自分がそうならなければどれほどのつらさかは、
想像することしかできません。


我慢強い父でしたが、
痛み以上に年がら年中押し寄せてくる副作用からの痒みには勝てませんでした。


昔だから、情報も少ないため十分ではないにしろ、
ネットのない当時からすればすれば、十分なほど、
すべての民間医療書に私は目を通していましたが。


名だたる整体にも通いましたし、
有名な民間療法にもいきました。


頼れそうなところには、どこも。
一度は首を突っ込んできました。


いったん、医薬品は体に染みこむと、自然物ではないため、
体外に排泄する機能をすり抜けてずっとその場に滞留して、
亡くなる日まで、ずっとかゆみに苦しみ続けていきました。


それは私が高校生から大学生当時だったのですが、
その姿を見ていてどうもしてあげられないつらさ。


「切ない」のひとこと。



なので、お客様が
「そういえば最近強いステロイド剤に頼らなくても、
弱いのでカバーできるようになったんですよ」
という言葉に、幸せをかみしめていました。


ただ、施術中で頭のなかが計算しまくり中で、
けっこう淡々と「よかったですね〜」という、
にこっ程度のことでスルーしましたが。^-^;



深層リリースをしていく方向に、
過去の自分が経験してきた切なさを許せるような解法を求めてやってきました。


かゆみ、というものについても、
腰椎椎間板ヘルニアと同様に私が狙い続けて研究してきた
体質レベルで根っ子をかえられるかどうかの勝負事でした。


深層リリースには、ある種類の、
体を元返しさせ浄化させるリセットスイッチが隠されている。


解が出るまでは遠い道のりでも、
本質を掴み解法に閃けばこっちのものです。




ただ、そういった道のりは、
個人的には平坦ではありません。


私は誰かに現在のやり方を習っていません。


自分の責任で工夫を加え、
誰に頼ることもできない。
誰かに責任転嫁できない。


ひとりで歩くからいいと、
ひとりから始まるものを
最上だと考えを改めたら
技術的な貪欲さが増した。


喩えばという話になります。
数枚のヨガマットを敷いて、
厚めの靴下を数枚重ね履き。
厚底のテニスシューズに強力な厚みのあるインソールをいくつかいれて、
足の中足靱帯は3重のキネシオテープで巻いているようなことであるが、
足の指の靭帯は悲鳴を上げていくほどの痛みをだす。


爪が根元近くから壊死寸前で剥がれたときはつらい。


足部のサポート.jpg
上の写真程度の足の指のなかに血が交じるのはしょっちゅうで、
それの痛みは慣れました。
自分の体の捌き方が悪いからそうなるだけのこと。
それを改善していけばいい。
確かにそうすることで直る。


ただ楽に動けるように工夫できた瞬間に、
更に気づきが増し工夫を加えられていく。
だからいつまでたっても過酷さは消えません。


全身の体力を使う手技ですから体力維持養成は欠かせず、
爪から血が滲んでいたくても数キロの目標地点まで歩き。
それを欠かすことがあれば施術成果は激減するため、
相当ひどい状態を抜かしてノルマをこなして行きました。


足の足部ひとつとってみてもこの有り様です。
それが全身ですからね。 ^-^;


体の芯に届けられる圧を受ける側には痛みを消す工夫をしていますから、
思ったほど痛くないし途中で眠っちゃったとなります。
ですが私の足裏や全身へと襲いかかる負担は大きい。
それは屈強な手斧状の道具の周りに巻かれている
厚手のセラバンドが引きちぎれる様子を観るに連れ
どれだけの浸透性の深層リリースには必要な圧がかけられていくものか。
我ながら、なるほどねと実感する次第です。



そのようにして施術での圧の量と質がどれほどまで達すると、
「小さい時からのかゆみが、弱くなってきたんですよ」となるのか。
少しずつ感触がつかめてきます。
そのような改善した体験をなされた数名の共通項を見て取ることで、
そう至るまでのゴールがおぼろげながら感じ取れるようになっていき、
遠回りしてゴールにたどり着いたルートから、
より近道となるルートがないのか探し当てる。


そうこうしていると、
ようやっとそのゴールがどこにあるか位置関係がみえてくるものです。




私はどんな些細な症状を持っているだけだという人でも、
容易くどうにかなるなんて楽観視したことはありません。
深層部位まで至るリリースをする過程をお付き合いしていただきましたお客様から、
どんな症状も奥を見れば見るほどどれだけ大変であるかを教えて頂いております。
一般の健康そうな方でもそうですから、
ちょっとした症状がある方ならば尚更。


常に施術では真剣勝負です。
勝つか負けるかがあります。
必死ですから手抜きはない。


思うのですが、
私に師匠がいて、
心が未熟なうちに上記のような修行をしろと指導されれば、
『むちゃくちゃいわないでよ〜。辞めてやる!』となった。
根っ子は、そんなヘタレっぷりなものですから。


自分がとことんそれが必要だと思い至ってこそ、
代償を払う分だけ見返りがあることもわかる。


だから、誰に指導されなくても、
その気づきの快感や達成感という褒美により、
進むことができるのでしょうね。


自主的に考え吟味して動く大切さ。
それを思います。




自分で考えて考えて自分の脳に汗をかいて絞りだす。
追い求める目標が大きければ悩みは深まりますが、
そこは段階を経て登るようにしていきましょう。



以下、話が少しそれて、ごめんなさい。


幕末から明治に活躍した山岡鉄舟先生が『無刀流』と
剣術なのに刀がないといいえる名をつけるに至ったか。
また全生庵という鉄舟先生のゆかりのお寺には、
山岡鉄舟居士の墓のすぐ近くに三遊亭円朝無舌居士と書かれた墓がある。
初代三遊亭 円朝(さんゆうてい えんちょう)は江戸時代末期(幕末)から明治時代に活躍した落語家。
噺家なのに『無舌』とは。。。
実際は天龍寺の滴水和尚から「無舌居士」の道号を授かるということで、
自ら円朝が無舌と申したわけではないのですが因縁めいたものを感じる。


山岡鉄舟先生も三遊亭円朝師匠も、
無刀流や無舌という『無』の悟りに至るまで、
死ぬほど考え悩みぬいたと記されています。


私ならば『無手技流』と名前をつけられるほど悩みたいところです。
手技に執着せず、こだわりを持たず。


手技をするその前に、あらねばならないものが抜けていては、
仏像を作っても魂が宿っていないようなものです。
手技の技術が量と質共に貧弱な未熟なものではゴールを見て、
そちらに至る道を見つけることもできませんから論外ですが、
山岡鉄舟先生たちが見ていた『無』の悟りに至るときの自由。
何が無くなればよいものだと気づいたのだろうか?!


目下のところ、
皆目、尻尾がつかめてもいない。


ずいぶん前から、そのような世界へのあこがれはありました。
やはり自力をつけなければ、見えないのだろうかと思います。




体力を使う施術で疲労をためつづければ、
さすがに年齢的にムリが祟るようになる。
いま、動けないわけではないが
今はかろうじての執行猶予期間。


知人の先輩格の施術者と付き合うに
そのように感じるようになりました。。。


タイミングは、決断したときが好機。


来年初頭から休業をさせていただきますのも施術研修がメインですが、
そのなかにはたとえば『無手技流』といってもいい、
映像で体の使い方の工夫を伝えてみたり、
肉体的ダメージばかりではない心因性の仕組みを絡めて考察したり。


今までは故意に筋膜の深層部位までをリリースすること”だけ”に、
施術提供方法を制限してきました。


その縛りを捨てる気はありません。
ですが頑なさをゆるめて広げていくことで、
施術の価値をあげることもできていくことでしょう。




予約順番待ちにてずっとお客様をお待ちいただいたり、
施術を受けてみたいとお問い合わせをいただきました。
そしてもしかするとお問い合わせをいただいてないが、
という方もおられると思っております。
そのお問い合わせをいただいた方々の中には、
大変な苦悩のなかにおられる方もおられます。


私が、現状の施術の提供の仕方をしていては。
私は、長い間リピートをしてお通いいただいているお客様に支えられ、
仕事をさせていただいておりましたので、
このお客様はやはり最高に大切なのです。


その思いは強いですし、
その思いがあるからあのお客様を改善させる具体的技術を磨ける。
顔を思い浮かべて技術を磨けるためモチベーションが上がります。


そういったものが成長の原動力になっていますから。
ひとりきりでの仕事の修行でありつつも、
さほどの孤独は感じないですむものです。
施術のご縁でお会いできた方々との交流はありがたい。


予約順番待ちにお並びいただいているお客様や
お問い合わせを頂いた方が施術を受けて頂くことがありましたら、
他の先生にはない特徴を持った施術を受けられるメリットがあるでしょう。
健康維持プランの参考にしていただけるかと願っております。


今の施術は私がひとりで行っている施術で、
信念をもって丁寧に時間をかけた仕事をさせていただいております。
それが私が技術を最大限に磨いていくためにはベストな選択だと実感してもいます。


ただし、
「体的につらいのです」というメールを受け取るとき、
針の筵の上にいるような、いたたまれない気持ちです。


自分にできる新たなる取り組みを模索していければと、
休業期間中にその方向を決めていければと考えてます。


施術の提供の仕方が今とは変わるかも知れませんが、
今まで以上に施術での一挙手一投足の切れ味よくし、
それをカバーできるよう修行をさせていただきます。


身体操作や道具の磨き上げなど、
根本から見直していく予定です。


そして施術の再開のお知らせをさせていただきます。


また、現状で予約順番待ちに現状でお並びのお客様のなかには、
お並びいただき長い月日が経つため施術を受ける必要がないと判断いただく方も多いかと思いますが、
数名のお客様は施術を受けてみようと考えておられるというメールを頂いております。
予約順番待ちにお並びいただいているお客様の施術を受けていただけるかどうかの判断をいただき、
ご希望いただきます方が5名以下ほどの少人数であれば研修期間中に、
予約を受付させていただきたいと願っております。



来期の施術再開のお知らせをさせていただく際に、
予約順番待ち受付を再開しました』とすることができれば理想です。







最大限、私共々ご納得いただけますような施術の提供をしていきたい気持ちは変わりありません。
それが欠ければ、私が係る意味がなくなります。


そんな台無しなことになることはないとお約束できるような、
やりがいのある仕事が私にとりましての施術なのでしょうね。


今後ともどうかよろしくご指導のほどをお願い申しあげます。



ボディワイズ

鈴木政春