「まさにコミュニケーションは、生きるということだ」

TEDをたまたま観ていた。
海外のスピーカーですが、
車いすに乗り、
コンピュータを通して発話支援を受けて話をする30代ほどの男性。


12歳で意識障害に陥り寝たきりとなり体が動かせない。
他者との対話ができなかった男性がプレゼンターとして語っていた。
ずっと寝たきり状態で言葉を発することはできなかった。
だがすでに意識は戻ってきていて、看護されているときに受けていた虐待や、両親の言葉は聞こえていた。


ずっと会話ができないときは、頭のなかで空想の物語を作ったりしてときを過ごしていた。

だが彼が、父に自動車で買い物に連れて行かれたとき。
彼は、助手席にいたままにされて父だけが買い物に店に入る。
そして取り残された彼に向かって、たまたま外を歩く人が笑顔でウィンクしてくれた。


そのとき、まさに他者が自分をひとりの人間として認めてくれたという衝撃を受けた。



この男性の意識はないものと周りではみなされていたが、
あるときアロマセラピストが、
セッション中に男性の目の動きを見て意識が絶対にあるのだと見抜いてくれた。


そして検査結果により、会話する能力があると周囲が理解してくれた。


今は、コンピュータのコミュニケーション支援ソフトにより、
話をすることができるようになっている。
その後、彼は、
言葉を発話するのに障害がある方に向けられたコンピュータを使った発話ソフトの開発などに携わる。


その彼が言う。
「まさにコミュニケーションは、生きるということだ」と。


他者との会話で意思疎通ができなかった長きに渡る時間に、
どれほどの寂しさを、悲しさを、苛立ちを、切なさを感じていただろう。


そしていまは、
どれほどのしあわせをコミュニケーションを取ることから得られることか。
実感なさっておられることだろう。


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施術の話ではないのですが、


アスペルガー症候群の方々のための会話術や、
発達障害がある人のためのみるみる会話力がつくノートなど、
他者との会話が苦手だと感じる傾向がある方々向けの本など。
最近、資料を集めている。


それらの本を読み込むと、
他の会話法の本にはない、
基礎的かつ重要な実践すべき内容がが解説されている箇所も多くあって。


「これは、いいぞ!この会話の基礎。私自身も必要としているだろう」


そんな気持ちにさせられました。


前出のTEDのプレゼンターよりも自分の声帯を使って会話ができる能力があるが、
彼ほどコミュニケーション能力を
「まさにコミュニケーションは、生きるということだ」
というよりも、
「他者との会話はやっかいなものだから、敬遠したい」
というような思いを持つのが発達障害をもつ一部の方々の傾向があります。


それが、
もしも
「まさにコミュニケーションは、生きるということだ」という実体験をして実感することができたなら。
一部のアスペルガー症候群学習障害を持つ方々の人生観が変わっていくことだろう。


ビル・ゲイツスティーブ・ジョブズなど、
時代を創った寵児たちはアスペルガー症候群といえるような傾向があったといわれています。
おそらく、それは才能の塊でもあったということだ。
だから成し得た仕事だったんだ。


だがアスペルガー特有のコミュニケーション上のトラブルで、
スティーブ・ジョブズなどは散々な目にもあっている。
正確に言えば、彼から送られる無理難題は常軌を逸しているとしか思えない。
そんな人々のほうが、当惑を余儀なくされて、つらかったのかもしれない。


スティーブ・ジョブズほどの存在感が際立つものならば、
社会が彼を必要としてくれて、
周囲も彼の実力を認めた分だけ付き合ってくれただろう。


だが、そこまでではないような場合は、
やはり、空気の読めない奴とかいわれ。


いつしか、家族や恋人との会話からもトラブルが生じだしてしまうだろう。


私はそうは思わないが、
コンピュータでプログラミングをする人々の多くが、
そんな発達障害を帯びていなければ自閉的にひとつの作業に取り組めないとか、
他のTEDのプレゼンターが言って、聴衆の笑いを誘っていたことがある。
(私も、かつてプログラマーをしていたことがあるので、笑われている張本人のひとりですね  ^-^;)


そんな笑いを誘われる的になった人達も、
「まさにコミュニケーションは、生きるということだ」
という衝撃的な発見をしたならば、
そういう潜在的にも優れた学習能力を発揮できる人は、
まさに英国紳士以上のコミュニケーターに化ける人だ。


私には、ほんとうにそう思えてなりません。


そうなれば、
周囲の人達もですが、
本人もしあわせでしょう。



個人的に、
実は今の社会では、このようなアスペルガー症候群の人のための題された会話の基礎。
そこから学び取れることが、非常に多いのではないかと感じています。
それは当然、私自身も、そのような恩恵を受けてみたい一人だと言えます。


ただ会話は教習所に通わなければ車の免許が取れないのと同じような仕組みでなければ身につかない。
本よりも、
ワークショップ的な実践参加型の訓練や実習がともなったセミナーがないか、探していますが、、、。
なさそうなんですね、いま、ネットでざっと検索しただけなんですが。



そのようなものがないならば、
創ってみたいと思います。
私一人では、できることじゃないので、
構想だけは、しっかり持ち暖め続けることになります。
それは本当に社会的にも意義が深いものになると直感しています。


施術で人の体の部分を癒やすことって大事だよなと思っていたが、
そこだけでは、、、なんだか足りないような気がしていたのです。
このような「まさにコミュニケーションは、生きるということだ」という分野にかかわることが、
大事なんじゃないかと思うと腑に落ちる。


それは健康面にも大きな影響を与えます。


それだけでなく、
人の生き死ににまで、影響するものです。



私自身、
「まさにコミュニケーションは、生きるということだ」と、
少しは感じていても臆して突き進めていないところでした。
ここがとても大きな長年の課題です。
だから大事にしなくちゃいけないな。


そう感じるのです。


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また、余談ですが、
「まさにコミュニケーションは、生きるということだ」という生き方を極める達人の方がおられ、
その方のお話をお伺いすると、やはり人とのつながり方を自分で選択して距離感をリードできる。
そのような能力に長けておられるのですね。
それが他人との会話にとどまらず、自己との対話で深い叡智にアクセスするまで突き進めれば、
非常に生き方が自由闊達な生き方ができておられるようにお見受けいたしました。


もともとの人を好きで興味関心を持てる好奇心旺盛さ。
そんな生まれ持った性格。
それもあるのでしょうが、
たとえ人生にどのような幸不幸が起こるとしても、
人が好きで会話を楽しみ、人と関わる関係性を大事にしようとする姿勢から、
人の幸福感が現れてくるものだと感じられました。


まさにこの達人からも、
どれほどコミュニケーターとしての才覚を磨けるかが、
人生で感じられるしあわせの幅でもあると感じました。