メガネを変えてみたら、脳のデバイスドライバーがうまく書き換えられず、難儀中


個人的なことで、すいません。


私は視力が弱くてメガネをかけています。


「鼻の穴、メガネでふさがってるよ」と、
今年に入り副鼻腔炎をチェックしていただく際に、医師に指摘されました。


ガラスレンズが分厚いため重さがかさみ、
鼻の穴の通り道をふさいでしまうほどで。
あとはメガネがずり落ちないように、
いろいろと工夫をこらす結果からの
悪影響もでていました。


フェイスマッサージの実施研究により、
思惑通りに副鼻腔炎もおさまりました。
そして視力の改善が少し図られていき、
軽さが際立つメガネを手に入れました。


すると理想的な感じで、
鼻の穴をメガネが乗っかる重量で押しつぶすこともなく、
呼吸がしやすくなりました。 ^-^;
めでたし、めでたしですね。


「ほぉ〜、こんなに、眼鏡によって違いが出るんだ」と関心しています。



ただ、ひとつだけ気にかかることがありました。


以前つくったメガネは眼鏡市場でした。
メガネを作る際にした検眼が微妙でして、
数ヶ月してもレンズを通した像がゆがむ。
そんな見え方が微妙な状態が続きました。


そのような不具合さも、
1年、2年、3年と続くと脳がレンズから通しみることができた像に対して修正をかけてくれて、
周囲の状況を把握できるように改善してくれるようです。
そんな感じの状態で物を観ていたのでは、
眼精疲労の原因になりますよね。
猛反省です。



今回は五反田東京卸売りセンター(TOC)のオリゾンというメガネ店で丁寧に検眼していただき、
見え方が以前と比べてフラットで同程度の度の入ったレンズでも目が良くなり細かいところまで見える。。。




ですが悲しいかな、
以前の変な見え方を脳が修正をかけて像をみるクセ付けがされてしまっていて。
その脳内の湾曲した世界を修正してものを見るという作業が大仕事だったよう。


たとえれば、
体の全体のそれぞれのパーツを「デバイス」という呼び名で呼ばせていただければわかりやすい。
パソコンは、記録装置としてのハードディスクや、ディスプレイ、マウス、キーボード等の
バイスと呼ばれているそれぞれのパーツに別れていて、それらが一つの仕事をするよう
調整され統合的な操作が可能となるように、
デバイスドライバー」と呼ばれるソフトウエアが
ハードディスクにインストールされている必要があります。


人間も、それはさほど変わりがないんですね。
眼球というデバイスパーツを動かすためには、
脳に眼球を動かすためのデバイスドライバーが組み込まれているんです。
パソコンでは、新たなマウスを買ってきて取り替えたら新たなデバイスドライバーを
インストールして使うような仕組みになっていますよね。
それは今まで使っていたデバイスドライバーでは、新たなマウスが機能制限を受けてしまったり、
最悪動かすことができないという現象が起きるからです。


それと同じように体の部分的なパーツも状態が変われば
デバイスドライバーを再インストールする必要」が出るときがあります。





今のメガネでみると、
ものがくっきりしっかり見えているのですが、
数歩も歩けば動きのある像にて船酔い感から。



施術をするときは、
膝を起点にし上半身を動きを制御しています。
すると船酔い感は耐えられるような状況です。
だから仕事上は問題ないのですが、


日常生活上、突如、しばし、その場で立ち尽くす。。。



しばらくすれば慣れると思いますが、
そこまで我慢を続けるしかありません。


今回のことでわかったことは、
目のレンズから取り込まれた外部情報は、
そのままの像が脳の視覚野に描き出され
立体物を認識するものではなく、
脳が逐一関与して修正をかけていきます。
脳が受像後の映像に対して修正プログラムを作り補正を加えたあとの情報を、
私たちは認識している。


プレーンな外部からの像を目がとらえていると思えていたとしても、
実体は勘違いがあるのでしょう。
それは右利きの人は、
多くが効き目が右側になり、右視力が低下しやすい傾向があります。


私も右目のほうが視力が悪いんですね。


そうであったとしても、だいたい両目でものを見るときには、
左右の目が同じほどの視力を持って情報を吸い上げています。
そんな、、、誤認の上でものを見ている状態です。


目というデバイスはプレーンな器具でしかありませんが、
脳がデバイスドライバーとなり目の機能を制御していく。
それらがセットで活躍できるようになるまで、
脳のデバイスドライバーの調整やリプログラミングなど、
手間がかかるものですね。



同時に、私が今、感じているのは、
脳がこしらえた目の機能を発揮させるデバイスドライバーが、
メガネのレンズで相当に操作されているという部分だけではなくて、
今年から数ヶ月もトライし続けているヘッド&フェイスマッサージ。
こちらにより頭蓋骨の形状をミリ単位で修正をかけていく作業でも
メガネを新調して脳のデバイスドライバーを書き換えるようなことが起きていたのだろうか?
という疑問です。


10分から15分までとヘッド&フェイスマッサージによるアプローチ時間を制限し、
日々繰り返すというやり方でリリースし続けてきたわけですが、
そのときは目の視力が向上していく感じは徐々にアップして目の疲れも素直に改善へ。


その視力の改善曲線がかなり変化したのだが、
それでも緩やかで穏やかな変化であって
脳がその変化をデバイスドライバーの一部修正で対応できたようだ。


それが突然、メガネの視力の変化だけではなく視軸やレンズの凹凸変更など、
多くの状態変化が起きたと際には、
その変化量の急激さにより脳が今まで使っていたデバイスドライバーが役に立たなくなる。
するとしばらくは役立たないデバイスドライバーをちまちま補正をかけて省エネで使う工夫をするが、
やがてそのデバイスドライバーのプログラムをあきらめて再度、一から設計をし直すような再構築へ。


つまり急激な状態の変化には、
その変化した状態が理想的でいて機能的な状態に向かったとしても、
脳がその変化に追いついていけないという現象が起きてしまいます。



それは今回の私のメガネの買い替えもそうですが、
施術を受けて大きな体の軸の変化や変更を強いられたり、
体内の血液の流れを改善という大変革を強いられたりすると?


そのとき脳が手足や胴体、頭等の動かすためのプログラムも然り、
体を自然に鎧化させてつっかえ棒をつくり支えるプログラムを幾重にも組み込まれたとき、
または、
容易に体の状態が大きく変化変容させられるような柔軟性の豊かな状態であればあるほど。


脳の体の四肢等を運動させて立位や座位などの姿勢維持や歩行や走行などの運動も
急激な変化をともなうようなときには。
今まで組み込んだデバイスドライバーの変化に対応させる修正作業ではすまなくて、
体の中では今までのデバイスドライバーを一部か全部を捨てて、
再設計をし始めて使い方を新たな状況に合わせて変化させます。


それが正常かつ理想的な体の変化対応の力といえるでしょう。
この場合に知恵が体の使い方の要諦を多く理解して実用可能なほど身についていれば、
大きなデバイスドライバーというソフトの機能発揮の実情に合わせた最適化がされて
大ばけ小ばけしていけるような仕組みです。


つまり体の四肢が勝手に動きや姿勢を創りだすのではなく、
脳が運動神経系を制御することでそれらは動かされていき、
それらを動かすためのデバイスドライバーのような存在を、
私たちはどのように再インストールできるのかにかかっているのですね。



人により、
体の使い方のノウハウが認識されておらず、
今までの体の状態というデバイス面を書き換えられたとしても、
新たなデバイスドライバーを作らずに以前のデバイスドライバーに執着をせざるを得ないこともあります。


私が目に合わないメガネを無理矢理にかけて、
それで新調した理想のメガネを手に入れたが船酔い感で喘いでいた場合に、
取る方法は2つあります。


ひとつは、新たなメガネを使いこなせるように工夫してならすための努力を積むこと。


それは船酔い感を乗り越える苦しみや不快感があります。
ただし理性がこちらのメガネはよく考えられた信頼感があると捉えている。
そのおかげで安心して頭の位置、方向け、胸の張り方、首筋の状態変更、胸の左右への開き具合など、
さまざまな今までのメガネではせざるを得なかった体への歪みを塗りこんだ情報面の設定の変更をする。
これをしていけば、よりスムースに新たなメガネは自分の体の一部として馴染んでいくことでしょう。


もうひとつは、昔かけていた不具合の多く気になるメガネにかけもどす。
こうすれば、船酔い感は現時点であえいでいる消えます。
だがそうすることの損失は大きく、その理知に欠けた安直さは慎むべき。
「肉体」というハードを所有するユーザーとしての自分の課題として、
その局面を打開できるよう取り組み、
将来を見据えてほしい。。。


自分に何が必要で、何が不要か。

そこを今現在の、表面で起きる快・不快に迷わされず、
ディープに自分の心を未来へと送り出し、
そこで起きる感情の動きに息吹を感じてほしい。





体の部分的な筋膜が癒着し続けていたときに作っていた脳に書き込まれたデバイスドライバー。
デバイスドライバーを再インストールする必要」が出るときがあります。
新たなデバイスドライバーを設計する技量も必要だが、
人体の設計思想にマッチしたものとして磨きがかけられた末のデバイスドライバーを再インストールしたら。



それで、私は少なからず人生観が変わりました。


そこに気づけた人は、幸せです。






最後に。。
歯を食いしばってでも、前向きに倒れそうになる振る舞いが必要があるときもでてくるときもあります。。。


体の使い方を教えるお仕事をしてなさりますお客様に、
先日、木刀の素振りっていいんです、あなたに必要です!と勧めました。


すると、鹿島神道流の重さのある木刀を買い込み素振りをして体を鍛え、
その途中で呼吸ができないほどくるしんだという人がいます。
ただそれでもまた再開してがんばってみるとおっしゃっておられました。


見上げた根性です。期待してますよ!! ^-^



ほんとうに、、、苦しいんですよね。。。
私も、そのようになった覚えがあります。
手の木刀を握る部位からタコが取れて血が滲むし
頭痛や吐き気で体調を崩しましたから。


ただそのような苦しさは、工夫により消えるものです。
工夫しているときに、体の変化が道の正誤を判定してくれるでしょう。



それは多くの剣の使い手が世にいることを思えば、物の道理でしょう。


研究に時間をかけて良いのです。
すぐに仕上げたりしなくていい。


時間は、たんと、ありますから、
一歩ずつ手の内側を納め、
体の細部の処さを俯瞰して眺め、
自身を鼓舞し続ける。


ダイエットでも、体重計がほんのわずかな体重差を図れるものを用意して、
理想は10グラム単位で少なくとも100グラム単位でわかるもので自分の変化状況を読み取るのです。
500グラム単位などでは話になりません。


多くは大雑把に自分の体内に生じている変化を捉えていませんから、
それで行く道の方向性を示す体の中のリトルドクターの声が聞こえていない。
小さな変化を感じ取り方向性を見出し、それを積み上げていくならば、
一ヶ月もそれが安定的に続いていけば、自分の現状を正確に把握でき、
磨き方がわかってくるようになります。


私は他者が見たら微妙な状態変化より自分を読み方向を安定して知り、
精妙に作動できるデバイスドライバーを自分の脳に描こうとしました。
実際、そのデバイスドライバーは思考の手を途中で離れ、
右脳によるヴィジュアル描画の際に触角感覚が同時進行で働き
その過程でプログラムが組み立てられていく実感があります。
そのプログラムが入った瞬間、
動きは変わります。


そのプログラムをするための要件抽出やらが、大変難儀するんですが、
そこの学習をするための観察眼を必要とするところを手抜かりがあれば、
偽物の成長が待っているだけでしょう。
やがて破綻をきたすのは目に見えています。


実利にあうような成長を、各個人が自分の内側を見つめて精妙な動作デバイスドライバーを作れば、
必ず誰もが手に入るものだと思います。


運動の方法を教えてくれる先生方の説も聞いてみて参考にするのは大切ですが、
地道な自分を知る探求の過程がなければ、
私にはその変化はあまりおもしろいものだとは感じられません。