合気道の本の禅問答のような定義=チカラには

【力には、力強く感じる力と、力強く感じない力とがあるが、いずれも筋肉の働きである】

これは書籍「合気道の科学」(著者:吉丸慶雪/ベースボールマガジン社)の中の
一節である。

力(ちから)とは?
この言葉の一節を聞いて戸惑った。

「力強く感じる力」は分かる。
筋肉質なボディビルダーのような力こぶが、上腕二頭筋に盛り上がる様子。
ちょっとやそっとでは負けないぞ!!という、強さの象徴のようなもの。
そんな感じだった。

では「力強く感じない力」とは?
一瞬それはバランス力などの筋力に直接関係しない力を指しているように感じた。
だがそうではなかった。
力みを入れて固める筋肉の裏に隠された、
もうひとつの筋肉の存在をいい現したものだった。

いくら力を外界に発揮しても、
当の力を出す本人には力を出している感じがしない。
その感覚がない力のことだった。

実際に腕を伸ばしてイメージの力で『曲がらない腕』をつくったとき。
『曲がらない腕』とは、
相手がまっすぐ突き出した腕を曲げるよう外圧をかけ、
それに耐えるデモンストレーション。
「力強く感じる力」がでているときは簡単に曲げられてしまう。
「力強く感じない力」でただ自分の重心を整えて立ち、
手先からエネルギーが放射されているようなイメージを持つと曲げにくく変わる。
イメージ力を用いるので「気の力」と呼ぶこともあるが、
それは曲げられないように抵抗する筋力が働いているから曲がらないだけ。

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日頃使えていない筋肉が、
自分の体の中に存在していたことを知ったときの驚き。
その筋肉が、いままで自分が筋力のたくましさとして一目置いていた筋肉より、
はるかに強い力を発揮してくれる。

解剖学的に、「力強く感じない力」を発する筋肉の筋断面を観てみると、
明らかに「力強く感じる力」を発揮する筋肉よりもどこも拮抗筋が倍以上太い。
そして胴体の中心にある支柱である【体幹】が筋肉の付着点になる。
絶妙なバランス力を発揮できるわけだ。

身体を活かすには、隠れていた筋力が鍵だった。
生活の中で「力強く感じる力」を手放してもいい。
それで非力となることもない。

そして、
「力強く感じない力」は特別な人しかできないものでもない。

禅問答のように見える定義も、
言い得て妙なことを伝えている。