終わりない体の研究進化

野口体操の本を読むと、


『体の動きの主エネルギーは、筋肉の収縮力ではなく、体の重さである。そうであるなら、からだの動きやその感覚において、「落ちる(落とす)動き」や「降りる(降ろす)動き」が基本でなければならない。』


といいます。


けだし名言。
まったく同感です。



ただそうはいってもワークのとき、
筋力を使わないわけにはいかないんです。
それもかなり精密に。


例えば...
大腰筋を使えるようにするというのは基礎。


筋肉は縮めることで筋力を発揮する。
筋肉が縮むことで骨に付着している筋肉の両端が近づくことになる。
それが筋力となる。


では大腰筋を使用することは大腰筋を縮めて筋力を取り出すことといえる。
実際に大腰筋を収縮させるとどうなるだろう?
広背筋や下部僧坊筋を脊椎方向へ近づけるよう力を入れれば、
容易に大腰筋は収縮してくれる。
大腰筋を利かせた分だけ力は力強くなる。


だがどうだろうか?


この利用法で長期間ハードに動きつづけると、
内臓が徐々に硬化していく。
足が右利きならば左腹部の奥がしこり化していく。
この時点で不具合を感じ取ることができる。
『あなたは負担のかかる動きをしていますから注意してね』と、
体がメッセージを送る。


力の出力としては以前よりも力が強く体が安定している。
そのような実感を持つことができている。
だが『まだその体の使い方は完成されていない』という。


そのようなとき、
はたと気づく。
一本の太い大腰筋という筋肉の中をより精密に見ていかなければならない。
筋肉を縮めて使う部分と筋肉を伸ばして使う部分。
この二つの部分を併せ持って動かすとどうなるか。


その詳細は複雑になり解りにくいだろうから割愛します。m__m


大腰筋を縮めるだけのときに股関節のはまり具合をみる。
すると股関節のずれが生じていて臀部筋や脚部の筋全体が固まりだす。
不安定な股関節をカバーするように多くの筋肉が酷使されてしまう。


それに対し大腰筋をある部分を縮めある部分を伸ばして使う。
股関節の骨盤の大腿骨の入るくぼみ部分がゆるまり滑り出す。
動きやすくなる。
股関節は横に付いていることをリアルにいきなり感じ取れる。
臀部や脚部にかかる負担が大幅に軽減。
そして動きの精度が向上。


工夫した動きを実際におこない
素晴らしい改善が生まれたことに気づいた。
工夫した動きをする前までは、
なぜ腹部が固まり脚部が硬くなったのかわからない。
動きの改善が行われた後に自分が苦痛を受けていて、
その度合いが大きかったことに気づくことができた。
体のつらさの原因は解消されて初めて明らかになる。
解消されるまでは自分がどれほど辛かったかということさえも不明瞭だった。
興味深いことだ。



だがこの進化もプロセスの途中に過ぎない。。。


体は痛みや不快感のようなメッセージを読み取り対応していく。
特に常にぎりぎりの力を振り絞っていると、
改善したときの快感は一時的でしかない。
だからさらなる進化へと突き進める。
その進化の終わりは当分の間ないように感じる。



体を知るための工夫の蓄積は、
そんな仕組みに支えられている。


だが自分が「ここまででよい」と仕切りを付ければ、
その進化は終わりを告げるだろう。
そのときから筋肉のパターン化された動きから逃れられなくなる。
それは筋肉を硬化させて体内の代謝を抑制する。
そして若々しさを失う。


そういうものかもしれない。