『解剖学的なアプローチ』の未熟さ・・・

基本的に私が身体を観るときは、
解剖学的なアプローチを試みる。


各筋肉の特性を押えた連動性・協調性、
骨格のクランク機能や関節面の接触具合など。
その他、いくつもの特徴を押えて考えていく。


特に姿勢や動き方を分析するときはそうする。


たとえばローザンヌ国際コンクールという
バレエのコンクールでも活躍するヤン・ヌィッツ氏。
彼は解剖学的なアプローチをもとにしてバレエセミナーなどを開く。
人体の動きとその動きの裏にある解剖学的な機能や物理的な仕組み。
そこを観察していくことで多くの気づきを得ることができる。
そのときに得られた気づきが自分の動き方のノウハウとなる。


レオナルド・ダ・ビンチが人体解剖図を記したのは、
正確に人のしぐさや表情を絵に表現したくて参考にしたかったからという。
レオナルドの絵からは皮膚の下を観察した正確な描写力を感じる。
ヌィッツ氏の解剖学的なアプローチとは、
解剖学的な考え方を受け入れて
人体の動きを理解し表現するというものだ。
皮膚の下の世界と皮膚の上に観える世界が整合することで、
興味深い成果を生み出してくれている。


私もイメージとしてはこのような内容に近しい考え方を持っています。
レベルはまだまだ学習発展段階ですけど。


ただ『解剖学的な』というが医師のような訓練を受けているわけではない。
そこにいつもいつも一抹の不安を覚えてしまう。


動きに付いて焦点を絞ったアプローチをのため、
それに関わる必要な部分だけを学べば良い。
だから医師ほど学ぶ必要はないと言われた。
だが段々と奥にまで進に連れて、
『自分がわからないものがあることがわかり始める』。


身体機能の把握側面を別角度から観れば様々な像が映り込み、
身体の各部位の関連協調性を深く読めば予想外の像が観える。
『解剖学的な』というと固定的なものの見方に聞こえますが、
解釈でファジーにその様子を変えていくという特徴がある。
そこに知的進化が伺えることも多い。


十分説明しさえすれば納得いただけることもある。
ときに自分の理解の未熟さゆえの曖昧さもある。


自分には『解剖学的なアプローチ』の未熟さが感じられてならない。
いつもいつもその感覚が抜けることがない。
どこまでいけば自分を納得できるのだろう。


そんな途方もないことを考えつつも、
地道に思索するしかないので読書です。
本当に学習は一生かかるものですよね。