昨日、食後にテレビを観ていたら。
歴史秘話ヒストリア 曲直瀬道三
とのこと。
その映像はYouTubeにもありました、、、が、違法なのかもしれないので、早々に削除されるのかも。。。
「曲直瀬道三って、名前だけは聞いたことある。。。」
そのような感想だった。
ただこちらの番組では曲直瀬道三の師匠、田代三喜という先生が紹介されていた。
本当に、映像で紹介されているシーンをみることができて、ラッキーでした。 ^-^
こちらの田代三喜先生。
先生が活躍した時代に。
中国医学古典の著書は、
数々の漢方薬の処方を、
この生薬を何割という様子で細かく規定している。
(※ 私が持っている漢方薬の本もそのような規定が記してある)
それをもとに規定通り作る。
そのおかげで、誰でもが漢方薬を作りやすくなり、
学びやすかった。
それで多くの患者に効果的な薬を提供できたのだ。
だが患者はひとりひとり、性別や体力、状態などが変わってくる。
それなのに同じお薬の調合でいいのだろうか?
漢方とは、生薬ごとの複雑に絡まり組み合わせの妙を渾然一体化したものだった。
それは最近、少しずつ学ぶことで意味がある程度つかめてきた。。。
うなるほど、奥深い。。。
それぞれの生薬の意味を理解して、
その患者の状態にあった必要な生薬を増やし、または減らす。
またはもしかすると、
漢方薬に新たに別な生薬を一部加えてしまうようなことさえ、
計算上、なさっておられたのかもしれません。
そうする足し算や引き算の過程で、価値は別物と変貌します。
カスタマイズされ世界に一つだけの『効く薬』ができていく。
170以上もの生薬の特徴や漢方薬の性状を熟知しなければならない。
私には到底、考えも及ばないほど精密な斟酌が加えられていたはずだ。
かつ的確な経験に裏打ちされた直感が与えられたことだろう。
それは生薬自体、野に咲く花だったり根だったり、鹿の角のような動物だったり、
化石だったり鉱物だったり。
採取したところの場所により、生薬の力加減は別物。
たとえば春ウコンでも、一部、中国産のものよりも、
屋久島産のほうが効きがいいようだ。
そのような違いもあらわれてくる。
つまり安くあげようとすれば、それなりの生薬の原材料で済ませられるし、
高くてもいいものをと思えば、最上級の生薬を原材料としていけばよいし。
その上で田代三喜先生のような、
脈を取り最適な調合ができれば。
私が聞いた話では、本格的に患者の症状をみるだけでなく「証」まで適切に調べ調合された漢方薬では、
その効果は異質な成分でも使ったのではないかと思えるほど大きな成果をあげられたという。
だから映像で、田代三喜が創った薬を「もう、だめじゃ・・・」と諦めたことをいう患者に与えたとき、
「なんだか、、よくなったような気がする」というのも、
安直でコミカルなタッチのシーンに見えそうだ。
ですがそれが誇張ではないのでしょう。
人は、自分の体が心底欲しているものを口にした際は、
瞬時に身に一体化し染み入る感覚が湧いて起こります。
実感として腑に落ちるといえそうな落ち着きが
肉体からも精神からも起きてくる。
すると「あぁ〜」とホッとした声がでることも。
私は、信頼できる者から、そのようなことは、あるよと聞いたことがある。
私は、その話をお伺いしてから、いつかはその妙を知りたいと願ったことがあります。
そしてこのたびは副鼻腔炎という、
私の施術だけではどうにも歯がたたないものへのアプローチを漢方薬に求めたのです。
漢方について副鼻腔炎だけを学んでいるわけではないのですが、
知人のバックアップ(多謝!!)をいただき、着々と基礎固めは進んでいる状況です。 ^-^
そのことは私の部屋にはいると漢方薬っぽい(塗香的な香り?)が混じっているところからわかるでしょう。
一応、無香料の消臭剤を、毎朝、ダーッと散布しているのですが、
さすが、生薬は香りが強くてビニール袋にパックしているにもかかわらず、
匂いでその存在を主張してきます。
さすがに少しずつその香りも落ち着いてきたのですが、
煮だして服用する自分の体を使った人体実験が始まれば。
少しずつ自分の証も、その過程で察しがついてきますね。
さすれば、生薬の量を、加減してカスタマイズしたとき。
自分の味覚がどうとらえて、
体はどう反応するものか?
楽しみなところです。
それはそれで目的があってのこと。
徹底的にというところの「徹底さ」が差を生みます。
ひとえに徹底さが甘ければ、
それでは意味追求が深まりません。
浅い意味を核心と信じるに過ぎない。
多くは、そこで自ら足をすくっておられます。
徹底さとは、やり方や考え方のバリエーションを増やすともいえるでしょうか。
同じことを繰り返さない大切さがわかります。
同じことをしていては同じ結果しか現れない。
とにかく極々小さな変化や気づきを知ること。
リスクを背負ってでも、とりあえずやること。
一般的な話ですが、
人は、視野がそれほど深いものではありません。
自分が一度手にした尺度を常に使おうとする癖があり、
そこからぬけ出すことができないで、同じミスをする。
それがどこに原因があって、どのような改善を計れば?
ということにまで気が回りづらくなっています。
それも徹底の意味を曖昧にさせる思考のひとつですね。
ですがその狭い視野を拭いながら陽の目を浴びれると、
見えていた世界がぱっと開ける瞬間を迎え入れられる。
生薬や漢方は自分のテリトリー外の研究ですが、
要領は私がいつも施術で心がけていることと大差ない。
少しでも理解し応用ができるよう努めたいですね。
意外に、生涯かけてのライフワークにしていけそうな分野?
そんな気さえする、興味の尽きせぬ奥深さを感じさせられますね。
施術には関わり続けたいが、
体力的にライフワークには不向きです。
自分がやりたくなる「新たな関連分野」を模索する時期が来ていると思う。