「手間を惜しまない」と「手間を惜しんだとき」と。

プロフェッショナル 仕事の流儀 
第183回 2012年5月28日放送
石工一代、叩(たた)きあげ
石工・左野勝司
をみまして。


石工と、筋膜リリースをする施術者は似てるところもあるんじゃないかと思いました。



私の仕事は、
筋膜を理想状態へともどしていくこと。


筋膜の癒着が多くなりすぎれば生活に支障が生じますから、
そこからくる問題点を少なくするように協力する仕事です。


身体の形状を私がみての理想から離れてしまう。
筋膜が硬直化してしまって動きが悪くなったり、
血液やリンパ液を流しづらくしていたり、
神経を圧迫したり。


そんなところをカイゼンさせるために貢献出来ればと願っています。


そのときに筋膜の癒着が長年つまれていると、
人によるが低血圧であったり、
負担を強い続けて限界を超えた身体の筋膜は、
冷えた鉄骨ほどの硬さへ筋膜は変質している。


そこまでいってないような場合でも、
人は多かれ少なかれ、
個々に動き方の癖があり
姿勢の支え方の癖もあり、
気づかないところで筋膜を癒着させています。


それらをパターン化して理解し、
石工のように不要な部分を削っていく。
石工との違いは、
削るといっても
骨化した問題部分が柔軟を取り戻させればいい、
といことでしょう。


筋膜の癒着部分は、
米粒大から数十センチもの長さで腕の太さもあるときも。
それに身体の表層から、骨に近い深層部まで。
そしてよくあるのが骨の裏手に潜り込んでる。
筋膜が癒着しているというレベルではなく、
靭帯が骨化したような本当に離れ業を使わねばアプローチもできないだろう。
ここまできてしまうと、
プロの先生でもそこにあるしこりの存在に気づかなかったりすることもある。
なので一般の方が、そのことに気づけるはずもないのです。


上述のプロフェッショナル 仕事の流儀 石工・左野勝司 の
ホームページ上で紹介されている頁がありました。
http://www.nhk.or.jp/professional/2012/0528/index.html
そちらを見ますと、


手間を惜しむな、積み上げろ
『その方法が石にとって最も良いなら惜しみなく時間と手間を注ぎ込む左野。「手間を惜しむな、積み上げろ」。それこそが左野の信念だ。』


と書かれてました。


映像で、左野氏の言葉を聞いた人には、違和感を感じたことでしょう。
ホームページは大切な手間を惜しむなという解説を端折られてるなぁ。


手間を惜しみ時間を惜しむ石工は、
究極、なにを手に入れたいのか?


そして手間を惜しまない左野氏は、
究極、なにを手に入れたいのか?


手間を惜しまずに本質に迫る作業を打ち込めば、
自分をどんどん活かしてくれる気づきを与えてくれる。
時間もかける。
手間もかける。


それらがすべてすぐにでも手間賃に反映されるわけではない。


手間を惜しまない作業を心に刻んで取り組むならば、
現状をより深く手が伸びる。
気づくことが格段に増える。


手間がかかるからと、
時短を優先すれば体験できないことを、
手間を惜しまなかったものは体験する。


手で触ったものに脳は意識を集中する。
手間をかければコストがかかる。
だが一度体験して創りだした手順は、
二度目には具体的な改善をして対処。
そうやってスピードが増していける。


二度目に作業プログラムをアセンブルしたり改善することで
スピードがあがることも計算していくこと。


仕事のクォリティは、
手間をかけて得られた経験はスピードを増して内容を深める。
それを土台にして次のステップに進み手間をかけていきます。
それが繰り返され雪だるま状に膨らませていく。


そうなると施術者同士でも、
実質的な開きが出てきます。


手間は新たな仕事を生み出して、
新たな深みを積み上げてくれて、
新たな場面を魅せてくれる。
魅力的でエキサイティング。
楽しみもあるのです。


私も、施術をするときに、
手間を惜しまないことに歯を食いしばってきました。


そこだけは、私自身、誇りを持っています。


自分を独自の揺るぎないものにするための、
自分が考えた答えがここにしかなかった。



手間を惜しまず時間を十分に使う。


それはもっとも自分を進化させる。



手間を惜しむことがあれば
今の自分が気づいていることが得られていなかったんだと感じたとき、
自分が考えた自分を進化させる方法は、
それほど間違ってはいなかったと思う。


石工の左野氏も、
手間を惜しんだらどうなっていたか、
そこを考えていたと映像の解説では言っていたように記憶している。



ただ私は、
初めから手間を惜しんでいたら、
それがいけないとはいえません。


ビジネス的に、
手間をかける場合には、
富裕層やよほど関心がある人に
相当な高額で提供するしかない。


そうしなければ、
生産サイクル上、
多くの人数を対応できないから、
生活が苦しくなっていきます。


ですが私は一般の方、広くとお付き合いをしたいのです。


そのようなところもあわせて、
私は大変な面も体験してます。


自分が貧しいのは私のわがままから出ていることですので我慢できるが、
家族にそれを強いているのは切ない。。。


こんな体験を多くの人がしてほしいとは思えないのです。



だからこれから施術を始めようとする方々は特に、
しっかり採算をしっかり考え、
ビジネス的に成功することを
真っ先に考えてほしいのです。


それから余裕が出たら、手間をふんだんにかけてみてもいいではないですか。



ただもし自分が考えたレベルのことができるような落とし所までくるならば、
そのときには一般にも価値の違いを認めていただけるようになれるでしょう。


そして石工の左野氏は、
仕事がモアイ像や春日大社の石灯籠の修復など、
厚く信頼されねば任せられない仕事を依頼されています。


そんな手間を惜しまずにがんばって、
ここまでこられた人が実際にいるんだということに、勇気をいただきました。



少しでも私は近づきたいですね。