我を抜く修行 筋感覚を疑え!

ヨガのポーズのひとつ「屍のポーズ」。
いわゆるこれは仰向けに寝た姿勢です。

一見すると簡単すぎるポーズといわれそうですが、
究極のポーズのひとつに数えられるのがこちらです。


下図は仰向け寝になっていると思ってみてください。
屍のポーズ.png


この男女とも、自分の体のもっとも心地よい位置となるよう、状態を探っているのですが、、、
この男女とも同程度ほどの凝りが体内に内在しているという条件を満たしているとします。
それなのに2人の屍のポーズには違いが現れています。

左の男性は、
カラダの正中線が上下を正しく貫き、
手足の先、肩や骨盤なども左右対称にカラダの各部が配置されています。

右の女性は、
カラダの正中線に傾きが生じており、
手足や肩・骨盤など左右が非対称になっています。


なぜ、このふたりの違いが現れたのでしょうか。


右の女性は、自身の筋肉の筋緊張という筋肉の凝りがゆるむことに注視してカラダの手足の位置や肩や骨盤、そして頭の位置を配置しました。
するといつもの筋肉の緊張癖という我に着目してそこを抜いていこうという試みをしたわけです。
それでも一定以上、成果があらわれます。
なにげなくいつものまま仰向けにこの女性が寝れば、
この状態以上に曲がりがあらわれるから、それに比較すればシンメトリーに近づけたからです。

ですがこのような筋肉の緊張している部位ばかりを眺めて意識して、
筋肉の緊張していない部位はお構いなしといった盲点部位を放置するのでは、
このものの気づきは穴だらけです。
その結果が、実像の姿勢はゆがんでいるものの本人にはゆがんだ状態から完全に脱したという感覚で感じています。





左の男性は、自身の筋肉の筋緊張に意識をフォーカスすることは捨てました。
シンプルに座標軸でカラダの骨をどこにおくか、それなら肩関節は左右のどこに置くか、骨盤はどうか。
足の左右の開きはかかとやつま先の位置をみて厳密に確認を取って正しき場所に設置していきました。
すると何が起きるか?
筋緊張がある凝った部分を、上記の女性は弛緩させて伸張させるイメージを持っていたのだったが、
この男性は、凝った筋肉の緊張した部位をさらに筋緊張を上乗りさせるような収縮を強いてみたり。
こんなことをしていいものだろうか?と、やってみて不安がよぎる。。。
ですが骨をどこに置くかについて不具合を感じさせるほどまでは筋肉の凝りがないのをいいことに、
物差しで測り分度器で足や手の広げる角度を厳密にして設置足するがのごとく、
部の位置を決め、骨盤の位置を決め、肩甲骨の位置を決め、手の場所を決め、それらの関節の向きを正し、頭の位置を決めていきました。

そのようにして【偉大な骨組みの位置が正された状態】となった。
次の瞬間、呼吸がいつも以上にすんなり体の芯まで取ちなみり込まれる。
その自然に起きる力強い様子に驚きます。


筋肉の凝った部位に意識が配れてはいるが、そのほかは見向きもしない感じであれば、
屍のポーズはいつまでたっても完成することはありません。

筋肉はもともと伸びたり縮んだりする性情を持つものです。
そこが一時的に凝っているというのも生理的現象ですが、
そこにばかりことさらに注視してみたとしても見えるものは限られます。

骨は筋肉のように伸びたり縮んだりするものではありません。
それゆえに、肉体内部の内部感覚的な位置や状態を固定的に、なおかつ再現性ある状態で設定していくこともできるし、
それを繰り返すことで、その姿勢を学習することができます。



深層筋の癒着が多々ある方には、骨の位置を設置するには制限がかかります。
だからなかなか屍のポーズをしようとカラダの細部にわたって骨を正しい位置に持っていこうとしても、
関節の向きに左右のシンメトリーがかなわないような部位が多々見つかるのです。

そしてそのような屍のポーズを繰り返すと、その状態を運動神経系がぎっちり記憶してしまい過ぎると、
それもまた誤った体感覚を正常と誤認させるミスリードがはじまるでしょう。

ですから他にある多くのヨガのポーズでカラダの各部の柔軟度を高めていくのです。
または筋膜リリースをストレッチポールを使ったり等でおこなったっていいでしょう。
徐々に深層筋までリリースが進んでいったとき。

私たちは筋感覚で体を操作していけばいいという常識を捨ててください。

過剰な筋感覚の優性した意識には「我」が入りこみます。
そうした「我」を抜くには神が設計した人体のひな型へ。


すでに凝りがあったり感受性ある感覚神経の分布にはばらつきがあって、
そうした筋感覚は、参考にすべきものですが、伸び縮みして番地が定まらないようなことに頼みにするのはやめてしまうこと。

立体的な空間認識、空間把握を骨の配置を厳密に選択するとい方法をとります。




身体のゆがませ方には千差万別な答えとしてのやり方があるわけです。
ですがこうした自身のツールとしての骨の位置を基準にして、どこにどう配置するかの答えは、究極はひとつにいきつきます。

それが屍のポーズの型ですね。