硬化委縮があって腸骨に深く根っこをもった癒着ある外旋六筋を解いて股関節の入りを改善。難解なアプローチですが、それでもだいぶものが見えだしてきました。その陰にはあまたの施術道具あり!です

臀部筋群。
臀部筋群.png

人体内部の筋肉でこれほど分厚さがある筋群はないといわれる筋群です。

上図、右側の「表層」の大殿筋はアプローチしやすく分厚いだけしっかりとした圧でリリースをすることができるでしょう。
だが殿筋が硬化し慢性化した筋膜上の癒着が進んでいると、凝りを持った分厚さゆえにこちらを緩めるのも硬さが残ってしまいやすい。
この大殿筋が骨盤部へ加えられる衝撃を跳ね返すプロテクター役も担っているから、そのことも納得ができます。

上図、左側の「深層」の筋群多数の筋で構成されており、<股関節をはめる役割>をもっています。
股関節をはめるための役割を持つ筋群を総称して『外旋六筋』と呼ぶことがあります。

こうした殿筋の深層は直接腸骨や仙骨の骨を取り巻く骨膜に、
きつく癒着が進んでいる方がいたとしたら。
根は深く改善は容易ではないといえます。
私ども施術をするものにしてみても、
大殿筋の硬さやその奥にある大殿筋越しに解かなければならない外旋六筋をどうやってリリースを実現する刺激を与えることができるか。

そのことは真剣に向き合うべき大きな課題のひとつとなっております。

この殿筋の深層が硬化委縮が強い場合、太ももの前側の鼠径部下について、同側か異側か、または両方について、
きびしい柔軟性を失われつつ太く剛直といえそうな筋が眠っていることが多い。
実のところ、この脚の前側の筋が硬化委縮が進むことで腸骨の上前腸骨棘部が地面側へ向かって強固に落とされることで、
臀部の深層にある外旋六筋に異常がでたという流れからきている。

よってこの上前腸骨棘下に深く分厚い存在感があるくさび型ともいえるような筋の柔軟性を取り戻させない限り、
腸骨が天井方向へ大幅に位置が狂うよう移行された状態を恒常的な改善に導くことができません。
その状態での殿筋の外旋六筋をリリースをすることとは、どうしても十二分に股関節がはまり続けてくれるような、
あとあとまで股関節の調子がいい状態が保持できるような結果を生み出せません。

これはバイオメカニクス的な筋や骨格などをつぶさに変位する流れを追っての道理なのです。

強い不調が股関節部に入っておられる方々をそこまで上昇させるには、
課題が山積しているといえる点です。


様々な手技を学び、自身でも創意工夫を重ねて考えてきましたが、
ここまでやれたという感覚は地道に微増するという積み重ねでした。


ただ昨今、ベン石温熱器が手に入り、ずいぶんそこが改善しだして、
他にもホットストーンを活かすことで、微増する改善の幅を伸ばすことができるようになってきたのです。

そして最近、たまたま得て施術に使いだしたフッカネックピローと大判の木製ボードのかっさを使いだしたとき。
そのような微増の幅が伸びたという坂を登る途上から、ひとつ大きなハードルを乗り越えることができた。

そうした感触を得ることができました。

フッカネックピロー.png
大判の木製かっさ.png

先日、国立博物館の国宝展にいき、日本の国宝とされる日本刀をみてきました。
正直、短い要点を解説したプレートを読むだけでは、それら刀の良さは伝わらず、
「みごとなテカリだ・・・くらいしかわからないなぁ」というありさまでした。
それでも磨きをかけられてピンポイントのライトに光が反射する日本刀からは、
その日本刀を手塩をかけて作った刀鍛冶の労や力量が伝わってくるものです。


私の施術に使われる道具が国宝になるわけもないのですし、
他者からみれば滑稽な施術法でもありますが、
つねに自分の内側で湧き出す疑問や課題に対して向き合いつづけるしかなくて。
そうするうちに、
もともとフッカネックピローも施術用に使えるとは思わず手にしてみたものですし、
大判の木製ボードのかっさにいたっては、買ってみて使い方がさっぱりわからずに、
半ば見捨てていた道具でした。
それが再度自身の課題を振り返ってみたときに、
あたかもそうするために準備して手に入れていたような気さえしてきます。

計算づくで施術道具を集めようと動いているようでいても
自身の施術用法にあったものが具体的にどういうものかを描き切ってから、
それを集めたりこさえることが難しいため、
結果的になんらかの直感で手に入れたものに縁を感じて使う感じになっています。
それはそれで意味があると感じてはいますが、
自身がしたい施術をもう少し明瞭に描くことで独自の道具をつくれるようになるのが理想ですね。

ただし結局は道具を使う使い手が巧みな身体操作をするようきびしく修練できないならば、
どんないい道具もプロの施術成果と同等のものが得られることはかなえられません。
施術者自身の身体運用のスキルが歩法や立法などを整えられていかないうちには、
フッカネックピローも大判の木製かっさも魂が宿った活躍はできないため、
鍛錬をもっと積極的にしていかなければと思うこの頃です。
忘れてはならないことは歩法が、施術の魂(いのち)です。


特にここ最近の施術では施術での外旋六筋のリリースに時間を大幅に要しましたが、
一定の私がお客様へ贈るに納得できた仕事ができまいた。
これからは私の施術用法上の身体操作を磨くことで、
手数を無駄なく厳選してまとめていくことが必須だと考えています。

山頂のゴールに到着できたところから、そこまで通ってきたルートを眺めてみて、
冷静にもっと進みやすい道がないかを上から見ることができるようになったとき、
そうした手数の無駄を削ることができてくるものです。
まずはどんなことがあっても、いったん、ゴールまで這ってでも登らないとダメなんですね。。。
そこからの一機の前進なんです。


あと、まったくの余談ですが国宝展でみた日本刀。
一本だけ、私がその日本刀の前に立った時に、
背筋が凍り付いたものがありました。
それはおそらく実際に戦闘で使われてきたものだったのでしょうか。
念が感じられててきて非常にこわかったです。。。
天皇や寺社に奉納される刀は、人を切る穢れがないものです。
そういったものはかつて目にしていたものの、
国宝展の日本刀はそうではなかったんだと気づき拝見するのもはばかれる気持ちになりました。
感覚が鋭い人は、日本刀を多数並べられた部屋は注意なさるか素通りするといいでしょう。