『カンブリア宮殿』'11.06.02 あなたは「メシが食える大人」です
http://v.youku.com/v_show/id_XMjczNDM3MTky.html
こちらのビデオをみていて、
なかほどに「それは自分とは合わない」という「合わない」という言葉を使うなという
メッセージが伝えられていた。
自分の周りの環境が自分の理想とかけ離れていたとき。
ともするとそこから安易に身を引いてしまう。
そして自分の殻に閉じこもってしまう。
これは現代の社会人でぎりぎりの精神的肉体的状態で
頑張っている人のことへのメッセージというよりも
昨今の子供たちに対してのメッセージなのかもしれない。
学習塾の先生が語っているのだから。
私も昔のことですが、
新しいバイトをすることにして面接にいき、
明日から来てよといわれました。
でもどうも自分が考えていたバイト像とは違う。
それで短期間で他に移ってしまった。
結果的に、次に入った出版社関係の所でいろいろと修行させて頂いて
今となってはその根性なしの私の逃げが功を奏したのではありますが。
ただやはり「自分には合わないから」といってしまったことを、
今更ながらに思い出す。
実社会に出て、自分で仕事をしてみると、
そこにはどのようなレールを引けばいいかが
すべて自分任せになるわけです。
だったらすべてやりたいようにやればいいかといえば、
そういったものでもないのです。
他との差別化をしなければ生き残れませんし、
自分の体が資本でもともと虚弱体質気味だった私にはつらい職業選択。
手の指の爪からはうみがでてきたり、肘は黒ずんだあざがきえないし、
意識が飛んでしまいそうなほど精力が消えた苦しい時間が、
施術をやり始めたときに続きました。
私が思っていたのは、
頭だけを使って器用なメンタル面の向上プログラムを作り
声を使って語りかける職業が向いているのではないかと思っていた。
そうするために小さな俳優養成所にも入って勉強もしていた。
もっとも似合わないのは非力な自分が力仕事をしていること。
それは案外、電気工事のバイトをしているときに、
数百キロを持ち上げる猛者たちがいるなかで足手まといになりつつ、
細い体を活かして細くて普通じゃ手が届かないような配管のくだに
手を入れてコードを引っ張り出していたりしたときに感じていた。
自分って、むかしっから体力なかったけど、
ほんとにダメだな、と。
だから尋常じゃない体力を使う今の仕事は、
私にとって合わない仕事だと認識していた。
ただやっていかなければならないという、
今となれば漠然とした初志がありまして。
今となっては他のアプローチ方法もあったんじゃないのと思いつつ、
今の今まで自分には施術をするのは合わないという考えがあります。
合うことのみを選んでやっていたとしても、いずれほころびがでる。
心身的にも自分にふさわしいことなのになんでこんな苦しくて失敗をしてしまったんだ!
そういって落胆しそうだが、
合わないことをやっているんだから苦しいのも当たり前だから致し方ないことだとなる。
そう考えると苦労するも合点が行き微妙につじつまが合う。
それで根性なしがすこしくらいは改善したのだろう。
そうやって合わないものでも、
必要があれば少しずつ合うようにすればいい。
おそらく施術という職業に出会わなければ、
私は自分の殻をしっかりと固めるタイプに違いないので。
今考えると、合わないことをしてきたことが功を奏した、
そういうこともあるんだなと思っています。