『ウィトルウィウス的人体図』に補助線を引くと、おへそが中心だった

一般の方に、「重心をどこに意識したら体全身のバランスが取れて楽か」と質問をすると、
「それは臍下三寸(だいたい9センチくらい)での丹田ですね」とご回答をいただくことがあります。
臍下三寸に意識を置くことで体は安定することとなるでしょう。


そのようなイメージを、
少し前までは私も持っていました。


そして昨日、施術をする前に姿勢のチェックをしていて、
簡単に体のレクチャーをしているときのことでした。



丹田部分が体の中心でしょうから・・・」とおっしゃられました。
一定以上の身体知識がある方なのですね。
そのようなことが伝わってきます。



中国武術的には「気沈丹田」といいます。
「気を丹田に沈める」と、リラックスした瞑想状態に入りやすい。
ドーパミンという脳内をクリアにしてくれるものが出てくるため
気づきの修行にはもってこいなんです。
骨盤内部を広めに感じ取ることができ、
安定性をつけるにはいいもなのですね。



そのようなおり、
私が持っている経絡人形があるのです。


この経絡人形の腹側の気海丹田部分とその真裏の腰部に、
指で前後を挟みこむようにして持ってみました。
すると上半身の重みがかさんでしまい落ちる感じで持ちづらい。



ここを利用して体をコントロールするというのも、
経絡人形の例を取れば、意外としづらいわけです。


では、、、じゃ、どこに指を置けば最も安定する?


そして試行錯誤のうえたどり着いたのが、
へそと命門で挟み込んで持ち上げると一番軽く感じたのです。


「えっ!丹田ではなかったの?」


ちょっとした驚きでした。


なぜだろう?


どう考えればいいのか?



その理由を探しました。



Da_Vinci_Vitruve_Luc_Viatour.jpg
上記の絵は、レオナルド・ダ・ビンチが記したイラストです。


人体を円と四角の中に閉じ込めたような不思議な絵ですよね。


ウィキペディアで『ウィトルウィウス的人体図』を調べると、
次のような解説がありました。


ウィトルウィウス的人体図』(ウィトルウィウスてきじんたいず、伊: Uomo vitruviano、英: Vitruvian Man)は古代ローマ時代の建築家ウィトルウィウスの『建築論』の記述をもとに、レオナルド・ダ・ヴィンチが1485〜1490年頃に描いたドローイングである。紙にペンとインクで描かれており、両手脚が異なる位置で男性の裸体が重ねられ、外周に描かれた真円と正方形とに男性の手脚が内接しているという構図となっている。このドローイングは、「プロポーションの法則 (Canon of Proportions)」あるいは「人体の調和 (Proportions of Man)」と呼ばれることがある。


と書かれております。




そこですかさず、
下図のような円の中心を通るような補助線を数本付け加えます。


中心がおへそ、ですね.png


するとこの「人体の調和 (Proportions of Man)」のイラストでは、
きれいにおへそに中心点が重なっているんですよね。



このように
私がへそと命門で押さえればいいというところを導き出したのは、
私が所有する経絡人形という物理的なグッズからの実地観測と、
腑に落ちたのが『ウィトルウィウス的人体図』からです。


それに付け加えるならば、
気の出入り口として「へそ」も「命門」も、
非常に重要極まりないポイントとしての認識があります。


胎児のとき栄養素のすべてはへその緒から流れ入ってきます。
そのような栄養をいまの成人したものたちも、
なんらかここから取り入れ続けていると仙道では考えたのでしょう。


へそにいまだにへその緒があり
いまだ外部からの栄養がここから取り入れられるとイメージをすると、
不思議と丹田を感じ取って安定をするようにと言い指導をするよりも
明らかに楽に腰椎の椎間板部分が上下に伸びてボリュームを増す人も
ずいぶん私は観たことがあるのです。



気海丹田とへその機能的な違いは?など、
考えなければなりませんね。



たとえば気海丹田部分の上を指で強く押さえつけてみても、
そんなものはへっちゃらでズンズン前に突き進めます。
ですが、おへそに指をあてがわれ強く押さえつけられると、
もうにっちもさっちも進みたくないし、
進もうとする方向がわからなくなって
脳が混乱している様子が伺えるのです。



それらのことにたとえばへそは、
外部から何か気のようなものを取り入れるかのような存在、
そして同時におへそが進もうとする方向性をつける役目だ。
そのようなイメージを修めておいてもいいのかもしれない。



丹田の場所を伝えようとすると、
「あそことかこことか」
人それぞれバラバラであやふやなんです。
あやふやすぎる住所の指定で郵便が届かないのと同じです。
道の道標に、クロネコヤマトの配送中の車がここにあって、
とかすぐに移動してしまうものを目印にしてはいけません。
そんなものですと確実に、迷子になるのがおちなんですね。


脳の空間把握能力にスッキリした意識で把握できなければ、
気持ち悪くて見向きもしないぞということになりますから。
だから丹田を指定して意識してもらうようにしていたとき、
ものすごく伝わりづらかったのです。



それがおへそという部分は、
ここが自分のおへそですと、
だれでもすぐに認識できる。


へそ部分を意識してといわれるほうも、
わかりやすい仕上がりになっています。