布施の名人になれば、オーラの色が美しくなって健康になるのでしょう

お布施って。
お金をお賽銭箱に投げ入れたりすることばかりだと考えていませんか?


ワタシ的には、
自分の小遣いの1/10を神社仏閣巡り中にお賽銭へと目標を持っています。


信心深いというよりも、
大きな神社仏閣は末社が多くて、
まんべんなくお賽銭を箱に入れると。
小銭がドーンとなくなるのですよね。 ^-^;


ただ。


神様は別にお賽銭がほしい訳じゃありません。
ですが神社仏閣を維持するためには必要です。



ただ世の中をよくするためにおこなう布施とは、
お賽銭を持っていくばかりが能ではありません。


『雑宝蔵経』というお経に『無財の七施』という教えが書かれているそうです。
以下の7つの布施のことです。


1.眼施(げんせ)
「常によいまなざしで見て、険しい目で見ない」


2.和顔悦色施(わがんえつじきせ)
「悪い感情をあらわにして険しい表情をしない」


3.言辞施(ごんじせ)
「柔らかい言葉を出し、粗暴な言葉を使わない」


4.身施(しんせ)
損得を抜きにして、自分の身体を使って奉仕する


5.心施(しんせ)
「上記のような内容で(眼施から身施まで)供養したとしても、心に思いやりがなければ供養にならない。心に思いやりがあれば、深く供養を生ずるであろう」


6.床座施(しょうざせ)
「席を作って座らせる、あるいは自分がすでに座っている席を譲って、座っていただく」


7.房舎施(ぼうしゃせ)
「家の中に迎えて過ごしてもらう」



というお布施のやり方があるといいます。



私の知り合いの女性に、
まさにこのような『無財の七施』が板についた方がおられます。


私は、その女性がすでに反射的にそうなさっておられるような、
前向きに人と向き合い『無財の七施』といえる行動をしている。
私利私欲がまるでないままに人と素直に接することができます。



人格が高貴に身に備わることがあれば、
それは顔の表情が整えられてきますね。
自分の顔を作るのは自分の行いからで、
内面からのオーラが外へとほとばしる。


輝かしいものです。



反射的に利他的行動ができる人。
他者を愛することができる人は、
自分をも愛することができます。



すると人生は開かれていきます。
充実度したものになるでしょう。



私が、その女性がしたことに大いに感動しているところを横目に、
「なぜ、そこまでことさらにおっしゃられるか、わかりません!」
と不思議そうな目でみられています。


とてもピュアですね。 




人は、大人になれば自分の顔に責任を持たなければならない。
偏りのないバランス感覚のよい顔つきでいたいですよね。


顔や首などにあるしこりからだけではなく、
どのように考えて行動を選択していくのか。
自分の責任を持った判断から顔が作られる。


心という目に見えないものの現れが、
一番、よく表情にでてくるものです。



そこにぶれない生き方ができれば、
免疫力が向上していくことが知られています。
自身の健康にもよい影響が生まれるでしょう。



私には、いまだ『無財の七施』が反射的にはできていません。
そのような自己反省があります。
前向きに勇気を持って変わりたいと気をつけていきたいです。



財産を投じなくてもいい布施があると釈迦が説かれたのには、
いまさらながらに、深く感じ入るところがあります。


単純に良い人になればいいというのではなく、
自己を深掘りするには、そこに視線を向けよ。
そこから展開される修行があるというのでしょう。