セルフマッサージやランブルローラーでケアを、安心にできるというときとは。。。どんな状態のときですか?

以前も同様なことをブログに書かせていただきましたが、
筋膜の癒着が進んだことで起きる筋の「凝り」について。

他にも凝りが生じて脈管が圧迫され、液の流れが停滞することで老廃物等の滞留が起きます。
本来は体外に排泄すべきものですが、それが内部に滞留するスポットが生まれるのです。
そのようなスポットでは老廃物から強い酸化した液が出てしまわないようにパッケージをする機能があります。
その袋状に閉じ込められた老廃物の存在も炎症を持っており「凝り」となっています。
施術中には、シンプルな説明で筋膜の癒着という言葉を繰り返していますが、
実際に筋膜の癒着部と老廃物を氷嚢のような収縮性ある袋に詰めたものとは、
触ってみると違う感触があるのですね。

この老廃物を体内に取り置くための場が凝りになります。
老廃物中のニカワのような粘性の高さがそのようにさせるものですが、
カラダとしてもうまく体外へと排泄できなくなっている老廃物がカラダの脈管を占めることは危機的状況で、
それを避けたい希望があり、そのような老廃物をうまくスポット的に閉じ込めるようにするメリットがあります。

ただそのような老廃物の蓄積部位は、健全な組織とは言えませんね。
本来はあっては不都合を引き起こすような病んだ状態のまとまりです。
体内の浄化システムに乗ることができなくなった「病的な組織」です。

このような組織によりカラダは弱化させられてしまうわけです。

そしてこの病がカラダの皮膚の表面近くにあるときは、浅い層に病がいる状態です。
そのときは体内の奥に位置する生きるに重要な部位にまで病が影響しないものです。
たとえば自身でおこなうセルフケアのマッサージにより、容易に病的な老廃物は流れ浄化が進み、正常かしてくれるでしょう。



病位.png


皮膚近くの表面といった浅いところに病があるとき。
このような病的組織の量は、当人の生活様式や注意の仕方と現状の老廃物のたまりによる凝りによりますが、
日々、うまくメンテナンスをしてあげることで、カラダの状態の機能性は保たれるでしょう。
それは比較的、たやすいセルフマッサージや注熱などで対処できるはずです。

そういった状態に至った人は、自分のカラダのメンテをすればリターンが大きいですし、
病が深いところに潜っていないという確認ができていることもあって、
「あなたは、もう、セルフマッサージやストレッチ等でのケアが、いい感じに効くような人ですね!」
という屈託ない笑顔の言葉が私の口から出てきます。


ですが図にあるように、浅層にいた「病的な組織」は、徐々に時間と負の蓄積の進行によって、
徐々に体内の芯へと潜り始めていきます。

病的な組織へ、多年に渡ってケアが届いておらず、骨近くや内臓近くといった深層へと老廃物を含む病的組織が浸潤してしまうと。。
このようになった状態に至ってしまうと、ちょっとやそっとのセルフマッサージ等でケアしても、
すでに一般の方にはケアの手が届きづらい病が潜る(もぐる)ところまできています。

病の位置(病位)が浅深の位置で言えば深く入ったというところ。
この病が深く入った状態とは、それをセルフケアで除くことが困難ですし、
セルフケアで皮膚の表層が柔んだとしても、奥に進行した病は変わらず深部で勢力を増そうとしているまっ最中です。
するとこのままの深層の病を放置するなら、後々が健康上、やっかいなことになりかねません。

そのようになっているときには、その方の現状にふさわしい、病の位置を少し考慮したケアの方法を伝えております。
業界でもセオリー通りのやり方は決められていないため、ケース・バイ・ケースで、できる範囲のことをお伝えします。

そのときはセルフケアの意味合いは、体内の奥に沈んだ潜りの病を増やしていかないようにという思いがあるので、
ワタシ的には、ついつい、あれもこれもと、多くのことを言ってしまうケースが多くて。
いくらなんでも多く言い過ぎたのではと、反省することも多々あります。


ただ、、、
それが、いつしかカラダの奥に沈んだ潜りの病が見受けられなくなると、
セルフケアも効きがよくなるし、その効果の持続性も高まってきます。
浅層にある凝りを減らすといった目的でのセルフケア中にも、
意外に余裕がある感じでケアができるのが特徴のようです。

そうなると、自分のカラダの現状の状態、課題、傾向などが、
冷静な観察力によってからめとるようになって、
「だったら、もうちょい、こんなようになりたい」と希求切望すると、
脳がそのときの願いを聞いていて、持続継続的に徐々にそちらへと自分の身を導き変化させてくれるような。
そのようなことが起こりだします。

カラダの中にコリや浄化されない不浄な組織が多いようでは、
そちらの雑然とした気の通りが阻害される状態に惑わされて、
なかなか脳にはストレートに希望が通らないのです。

それがいつしか深層にあった病という気血水を滞らせる元凶が退散すると変わるのですね。


私は、そうなって化けていった方々を、何名様も見させていただきました。

実際はおとなになってから、カラダの芯にまでもぐりこんだ病を抜くのは、
口でいうほどやわで楽なことじゃないのです。
骨の硬さと同じか、それ以上の硬度にまで変わっているものだから、
そうそう、一般の方にはそちらの存在があっても感知することが難しいと思います。

恥をかきますが、
私が今も今とて、年々、リリースできる深さが増し続けているというのは、
今まではその方の骨とおもっていた「骨らしきもの」が、パラッと剥げて消えていくとき。
「あっ!これって、骨じゃなかった。。。」と驚愕を持って気づくのです。

その気付きは「べん石温熱器とホットストーン」の登場により、大幅に加速しました。


それもあって「べん石って、とてつもないな。」と感じて、手当たりしだいに砭石関係の道具を中国から仕入れ続けています。
べん石温熱器の患部に当たるべん石のヘッド部分の形状が変わると、最適な部位のリリースができるようになります。

包丁は、ペティナイフもあれば、刺身包丁、出刃包丁、中華包丁など、
様々な形状やサイズでそれぞれ異なる材料に対して最良のカットができるよう工夫されていますよね。
べん石温熱器の場合も、まったくそのとおりで、腕を解くにはこれ、顔を解くにはこれ、鎖骨下を解くにはこれ、などなどと、
最適にその目的の部位を解けるよう特化した道具が用意され販売されているのです。
べん石温熱器のメーカーは、中国の整体師に使用アンケートを取って、どのような機能がほしいとか、
様々な希望を吸い上げて次のべん石温熱器のシリーズにに活かすといった製品の進化をしています。

それで出刃包丁でりんごの皮むきをするようなこともなく、ペティナイフでサクサクむけるのできれいにむけます。
それと同様なことが、私の施術中におこなうことがかなっているのです。




・・・・・すいません、べん石愛があふれすぎて、脱線しました。^^;



つまり、いったん芯にこびりついた病的組織がまとわりつくと、それは長年かけて蓄積していくものも多く、
軟性が失せて水分量も大幅に減少していってしまうことにより、骨か病的組織なのかが判別が付きづらくなります。

ただそういった状況でも、しっかりそのようなものが棚卸しされて在庫処分が進むに連れ、
骨の粗面が触れるようになります。
粗面は腱が付着している部分のざらついたところですが、施術者の指でなければわかりづらいと思いますが、
注意深く見ていくとそれが現れてきだします。
そこへたどり着くと、筋の腱部がゆるいとき、その筋肉全体は同様に緩まることを意味しておりますので。
そうなると「あっ、だいぶん、芯に入って凝り固まる部分が処理が進んでるんだな」とわかります。

ただしもちろん、全身くまなくそのレベルになれれば申し分ないですが、それはそれで日々、凝りを作るのは生理的な現象でもあるので。
完璧にそれが消え失せて赤ちゃんレベルになるというのは幻想で、そこを求めすぎるのは極端で実がないように思います。
それよりも深層の凝りが大きく消えた人の場合には日々作る凝りを緩めるのは楽にできるのです。
ならば、毎日じゃなくてもokなので、ちょっと筋肉が張ってるなとおもったら、
それを「覧なかったことにしよう・・・」と思わずに、笑顔でセルフケアによる対処をするように心がけてほしいのです。



また、深層に病位が潜っているような方の場合。
私は、できることならお近くのよい治療院、施術院等がありましたら、見ていただくことを勧めたいと思います。
私は、中医学の本などを勉強することで病位について考え出したので、おそらく中医学の先生等であれば、
このようなイメージは伝わるだろうと思います。
または東洋医学を長年に渡り実践されている先生のところなどに足を運ぶのも良いでしょう。
※ 東洋医学の先生は、人気のある先生が腕があるかというと、異なることもありますので。
  注意深く丁寧に連絡をして探すのがコツです。

こちらの芯に入った病的な組織は、セルフマッサージやストレッチ等でなくせる範囲を超えているでしょう。
賢明に日々を過ごしセルフケアによる努力を積まれたにも関わらず、
気づけば浸潤した病的組織の量は削られ減ることもなく増えていて。
それにより健康を阻害するようなことがおきることがよくあります。

そういったこともございますので、
セルフケアが、自分を知り、自分を活かすためには必須といいつつも、セルフケアだけでは足らない時もあります。
セルフケアをしていて、専門家でなければ見えない自身の現状の深みの部分の様子がわからないまま時がすぎると。
正しく深層へと潜った病的組織と向き合えないことで、深層の病的組織の量が増えていくならば、惜しいでしょう。