ハッピーエンドなラストシーンを先に考えて!

『私どもはボディワークという技術を売りたいのではない。
健康な生活を楽しむための技術を提供したいのです。』


私にはこのような定義があります。


だから私が理想とする様子にお客様のお身体が改善していくよう頑張る。


カイロプラクティックでもオステオパシーでもなんでもかまわない。
お客様の身体を改善するための安全且つ有用なツールがあれば手に入れる。
そしてそれを利用していく。
器用貧乏と言われそうです。
ですが私にとってこれが精一杯の誠意の表現。


お客様がご自身の身体で健康的な生活を楽しむための体験。
それを通してしかお金をいただくことはできません。



もしお客様の状態を見て自分の手持ちの技術力不足がある。
また自分のテクニックを提供するシステムが整っていない。
それではお客様の身体に訪れるラストシーンはハッピーエンドになりません。
物語のファーストシーンや本編のストーリーには、
ハッピーエンドのラストシーンを描くための仕込みができない。
そうならないためにも自分の手持ちのツールを整備するのです。


このように私は考えているのですが・・・。



とある施術家の集まりで、
ちょっと『?』なことがありました。
もうこれは7〜8年昔の話ですが。。。


ある施術家の先生。
自分の施術技術はいくらいくらで仕入れてきた。
だからこれは15000円はいただかないとね。
といいます。
料金を決めるのは先生方のお考えです。
その点に私は何も反論するつもりはありません。


既にその技術を使いこなせて
お客様にハッピーエンドのラストシーンをプレゼントできるならばいいです。


でも驚いたことなのですが、
そのラストシーンのイメージはまったく書き上げていない。
つまりまだ仕入れてきた技術を使いこなすことができない。
ですが仕入れ値が高かったし一般的な相場ではこれぐらいいただいて
当然な技術だからという理由です。


サービスを提供するシナリオでは、
ファーストシーンで価格が付けられている。
本編のストーリーはなんとなく威光をもって術にあたる。
そしてラストシーンは?


聞いてみると『自信はないんだよね』とカンタンにいう。


後で知ったことはこの先生には多くのクレームが寄せられて、
『おかしい、こんなはずでは・・・』と言う言葉。


この施術家は、
『ボディワークのテクニックを相場で売る実践をした。
ただそれだけでそれ以上のことは何も考えなかった。』
のでしょう。
後に価格を下げて営業を試みたそうです。
一度離れたお客様は戻ることなく廃業へ。。。


お客様が感動できるハッピーエンド。
お客様が感動していただけることほど
私どもにやりがいを与えるものはない。
これこそワーカー冥利に尽きる私どものハッピーエンド。


そこに目を向ければ、
自然にお客様を目の前にした時に何をすべきかが想像できるでしょう。