『楽をすれば得をしたように思うが、後で大きな害となる』
道元関係の本を読んでいて、出てきた言葉です。
私のときどき食事を共にさせていただく方が、
道元に深く感じ入って生活をしておられます。
彼の大事にしたいところと考えるものとは、
平たくいえば「座禅をさせてくれ〜」です。
会社員として、
朝早くに出勤して夜遅くまで働く。
自分の生活を自分で賄えなければ、
誰かに迷惑がかかりますから。
すべきことは、ちゃんとがんばる。
難行苦行をしなさいというのは道元の教えにはないそうですから、
一定の決まった時間になすべきことを邁進して、
今の自身の限界を低くしていくことが大事です。
生き方の迷いから抜け出すには、
どのようにすればいいか。
内側を見つめていく、禅。
表面上を観ているのではなくて、
痛みを感じるところは結構深い。
最終的なところまで根治できるまで立ち向かい、突き詰めていく。
彼自身の感性はそのように自身を捉えているのでしょう。
『楽をすれば得をしたように思うが、後で大きな害となる』
という気持ちがあるのだろう。
そのような方向を求める声が聞こえてきます。
楽をすればそのときは何かを得たようであるが、
それこそ前世からの善根を消費している証です。
仏教的にはそのように考えられているようです。
なおさら良くあればあるほど善行を増すのです。
苦を頂くことも善根を生み出すばねになります。
苦しくても後で大きな得となれば、自信となる。
実直な道元が申される修行取り組みへの意志が感じられます。
ここで私のライフワークの身体操作へ。
そちらに話を持って行きたいのですが、
体の使い方を学ぶにも
『楽をすれば得をしたように思うが、後で大きな害となる』
という言葉が当てはまります。
この場合での楽とは、
無意識に動きをコントロールする小脳の動きに任せた動きを繰り返すということです。
そうやって小脳の動きの自動化にお世話になり暮らしておいたほうが、
大脳には考える負担が小さくて済みます。
ただ私は、体の使い方の世界では、
理想型の使い方とかけ離れていれば、
老化を促進すると思えてなりません。
逆に楽をせずに、さらに難しいやり方を学び続ける苦を取り、
あらゆるところから考えて理想型に近づけていこうとすれば、
若さを生成するのが体の使い方によりかなえられるものです。
そんな若さへの縁結びがあれば、人生を大事に送れますから。
実際のところ、私自身もいつもの動き方に身を任せたほうが、
やっぱり楽に感じてしまうのです。。。
ですがそこにメスをいれ手術をして繰り返して深きところへ
意識を通していこうとしたほうがいい。
そんな人でありたいです。
自らが本当の得を得ようと、
一心に願って進む姿は美しい。
慎重にそのような作業を進めることで、
少しでも変えられるところがあれば、
体がよみがえる善根となるだろうか。
成長も、スローライフに合わせて、
背伸びをしないことが大事ですね。
どちらを向いて、
どちらに進めばいいものか。
何が正解と仮説をたて続けて、
油断せずに検証していくこと。