手技療法家は、空想の理想体型や体調を思い浮かべ、
こうなったらゴールという「とりあえずの頂上」を設定して登り始めます。
たとえばのお話で進めさせてください。
お客様の立場では、{主訴}たる腰痛や不調箇所の不快感を取り除いてくれれば十分というお考えになる方もおられます。私もお客様の立場であれば、そこは共感いたすところです。
ですが私どもにはお客様の身体から、今、内側から発せられる幾重にも重ねがけされたシグナルをキャッチして状態を理解してまいります。通常、主訴はそこに至る前の段階があり、実際に腰痛があったときは経絡上のトラブルか、筋肉・靭帯・骨格系の異常か、いくつもの原因となる可能性を秘めた選択肢を絞る検査を行ってまいります。
するとたとえばかなりきびしい腰痛だったが、他院でその箇所をかなりしっかりマッサージを受けても痛みが消えずに困っていたところ、膝裏のひかがみと読んでいる凝りを取る方法を実践したら腰を触らずに腰痛は半減してしまった。そういったこともよく起こります。
するとこの場合、腰が痛々しいといっても腰が悪いですねというのはいかがなものでしょうか?
腰痛は、あなたの身体が、今、内側から発している合図が腰痛ということで、その問題箇所が膝の関節、大腿骨と脛骨の関節と腓骨と脛骨の関節のずれが生じて脚が骨でしっかり支えられない構造体になっていますので、そのフォローに腰の筋肉をガッチリ締め付けるコルセットや強固な支え棒を作り上げて骨盤以上の胴体部分を支えていた。
人体も東京タワーのような建造物と考えていただければイメージしやすいでしょう。東京タワーの下支えの一本柱が短くなったらタワー全体が短くなった方に向けて倒れます。そうなったらひとまず応急手当として倒れた方向につっかえ棒を持って支えを作れば倒れる恐れが減ります。
それと同じことを、人体は無意識のうちにやりくりしてフォローしてくれているのです。そうしたつっかえ棒により固定された腰は、そのつっかえ棒があるのが当たり前になる。そうなれば腰の筋肉に炎症をわざと背負うのにも、利益があるように無意識下で強烈に感じてしまう。腰のこりを潜在意識下では手放すのは危険と判断してしまうのです。
そうなると本来は脚部の膝や足首の関節、または股関節の外旋状態が問題であるにも関わらず、腰部が悪いと勘違いしている状態が続いてしまうと、どうなるでしょうか?
それではすでに脚部の運動させるプログラムがくまれた運動神経系は異状のある脚部のままであり、その脚部の使い方をする限り、何度でも脚部の膝や足首等のズレが生じてしまいます。
つまり施術者が、膝裏のこりを緩めて膝関節を調整し、足首周りの靭帯を緩めたり舟状骨や踵骨等のずれを調整していく。すると、他院で腰部を揉まれても数時間しないで痛みが戻るということは起きませんが、一定期間過ぎて膝関節等の異常をもった運動神経による運動を続ける限り、徐々に膝関節が以前の異状をもった状態に追いやられることになり、その結果、腰痛が再燃いたします。たとえ痛みがでるまで一ヶ月、半年かかるかもしれませんが、やはり以前と同じ腰痛状態を患うこととなります。このようなケースはレアではなく、極、当たり前に散見されるものです。
そうしたからくりをご理解いただいたならば、
痛みが感じられる腰痛箇所が「ここが悪いんです」と自分でいいたくなる気持ちは致し方ないものですが、通常の先生には原因と主訴患部(痛みを感じる部位)は完全に一致することは急性期症状のみしか起こらないことを熟知しており、慢性期症状であれば原因となる箇所と痛みを感じる箇所は場所的に一致することは少ないと感じているでしょう。患部を通る経絡があれば、その経絡で離れた箇所に問題があることがよくあります。この度の例の腰痛は、腰部から膝裏まで膀胱経の経絡づたいでつながりが認められるような場合です。
つまり主訴は「あなたの身体が今、内側から発している==シグナル(言葉)==」であり、施術者はよくその合図を受け止めていきます。先ほども申しましたが、急性期症状では、患部と原因が近い場合もまれにあります。ですが慢性期症状では患部と原因はかけ離れている場合も多々ありますから、お客様の発するシグナルを芋づる式に複数集めて判断材料にしてここの筋肉や靭帯が過緊張にならざるを得ず炎症化して痛みを作る出した理由を探り出します。こうした判断材料は、患部から関係する関連筋肉の連続を手で確認しつつ調査することも大切ですし、首や仙腸関節のズレも根幹チェックが必須です。それに丁寧に目的を負った問診内容であったり、立ち方や座り方などの姿勢や顔の造作の状態から、呼吸や脈や皮膚の色艶からなどもあります。そうすることで主訴以外のお客様の体の様相からのシグナルや問診からの言葉から、複数存在する引っ掛かりのポイントが見出され、そのポイントの状態の軽重やリリースするための優先順位が読み込めてきます。負担が最小に収まり効果も期待できるよう考慮し、施術の運用で手持ちの手技では対応できなければ次回までに対応できる手法をきっちり手中にする研究をしあげ、次来たときのお客様の施術を支えていきます。
腰椎対策のエビデンスはありますけど、実際にそれをするだけで解ける人もいます。ですが臨床で個人にあった工夫を凝らさなければ成績として、中途半端なだいぶんよくなったでしょ、ですからこれで来なくていいですと突き放しの仕事になってしまいやすいのです。なので施術者としてエビデンスを正確に把握して繰り返し修練仕業を磨くのは最低条件ですが、それだけではやっていきにくいものかと思われます。横道にそれますが、ひとつの手技流派のエビデンスだけではカバーできなくても数軒の流派のエビデンスをいいとこ取りして合わせるとうまくいくことは、けっこうでてきて、助かります。
そういた仕事のしかたをしていると、お客様から「何回でなおりますか?・・・・」とお尋ねになられたとき「申し訳ありませんが、お客様のご判断によることと考えております」という曖昧な答えをすることが多くなります。
ひとところの問題箇所がとれてくると、いままでは自己と体外的な環境や社会に対してのコミュニケーションをとることが多かったものの、徐々に自己の体の声、シグナルを自分でも耳にし始めてくるようになる傾向があります。本来、人とは、社会との接点があって交流して生きる生き物でありますし、同様に自分の身体とも接点を持って言葉のやり取りもおこなう生き物でもあります。自分の身体との交流が断絶することが続けば、シグナルを発し続けても受け止めてもらえないまま病を得るといわれております。社会的な孤立からくる孤独になぞらえて、自分との孤独さが内側から発し続け訴えてきたシグナルを受け止めきれずにいる。すると発するシグナルには自身の身を自然治癒ではございませんが、シグナルをがっつりキャッチしたとき錐体外路系の対処行動を自動的に作動させ、大難を中難に、中難を小難に、小難を無難にする自発動作が起こりはじめます。
自身の内部に眠っている自分との孤独の積載から筋膜層に過去の記録・記憶が蓄えられているといわれ、そうした過去の筋膜層を作ってきたレコードに施術を受けて触れられたとき、自分との孤独を抜けて対話がしやすくなってまいります。ある意味、私自身、そういったことの起こりを期待して施術を受けるのは、お金がかかっちゃいますけど、ありじゃないかなと思っている次第です。それにより私も、極、身近な施術者に面倒をみてもらい、自分の体を施術を受けることにより客観ししやすくしています。そうなったタイミングでの自己身体との対話は、非常に多くの気づきを私に与えてくれます。