精神的な痛みの表現力


精神的な不安や苦痛により、
緊張が引き起こされて痛みが感じられる。
そのような苦痛が意外に多いものだと思います。


ですが精神的苦痛が身体的機能の不善に乗じることもあるようです。


人は痛みを感じたとき、
その痛みを生じている場所に意識が集中する。
意識が集中することで痛み自体もクローズアップされます。
それにより身体面の異常を気付かされます。
痛みの第一目的は、
身体内部に発生している異常を認識させることです。
痛みが出て意識が集中されることで、
患部に血流が増えることもあります。


たとえば関節のずれなどが原因で痛みを感じているとき。
同時期に精神的な不安定要素を感じ苦痛を感じる場合、
肉体的痛みと精神的苦痛が加わります。


精神的苦痛は、
『精神』という肉体の特定部位に偏在するものではありません。
ストレスと呼ばれるような自律神経系統の不安定を引き起こします。
ですが肉体的な痛みとは表現が異なります。
『精神のここが痛い!』などとは言わないのです。


ただこれが肉体的な関節のずれや筋肉の過緊張などにより痛みが生じるとき、
事態が変わってきます。
精神的苦痛が肉体的な苦痛を通して不快感を表現しようとします。


たとえば身体的な関節のずれの問題により、
肉体的な苦痛の数値が30%程度の耐えられる痛みでした。
それが精神的苦痛が加味されると苦痛部分への意識の集中が増します。
精神的な苦痛があ肉体的な苦痛に姿を借ります。
すると30%の痛み具合が70%とか、
耐えられないほどの100%の痛みに近づきます。


精神的な苦痛が肉体面に訴えかけるというシステムはないのかもしれません。
ですがこの痛みの上乗せ効果を実際に体験したことのある方は、
多くおられるのではないでしょうか。


そう考えますと、
肉体的な機能不全による痛みと精神的な苦痛。
両者の関係の一局面が見えてきます。


ただ精神的な苦痛が問題で、
肉体的な苦痛以上の痛みを感じていたとき。
恋をして意識が痛みからそれていけば、
耐えがたい苦痛は納まってしまいます。
精神的苦痛を乗り越えられたときも。


精神的苦痛が肉体的苦痛から意識を手放してくれたとしたら、
救われた気持ちになることができるでしょう。

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しかし痛みの継続や不快な原因不明の肉体症状を抱えたとき。
このこと事態が精神的な不安や苦痛を与えるものとなります。
さまざまな医院や施術家を訪れ疲れ果てることもあります。


そのような場合。
即座に完治は難しいのですが、
ある程度速効性がある施術スキルを提供するところに通い、
痛みが一時的にでも治まった上で今後の方針を決めていく。


各人のお身体の状況ごとに、
大きな施術負担のかかりようは変わりますので一概にいえるものではありませんが。


肉体的な痛みが改善して精神的な不安が落ちつきます。
そのときが先を見通すチャンスだと思います。


『なぜ股関節がずれちゃったのだろうか?』
『なぜまっすぐ立てないのだろうか?』
『なぜ一部分の筋肉だけを使いすぎてしまうのだろうか?』


『ではどうやってその問題を解決するか、
イデアを出してみよう!』


そのように問題を見通すことができれば、
その先が安心ですよね。