文楽の立役者は、「文楽人形」それとも「黒子」?

文楽といわれても私は関心ないんです」


私も実際に舞台を見たことはありません。
そのような方が、大勢を占めるこのごろ。^-^


しかるに、これがまた人形という動かぬものに感情移入をできるほどの手練をする過程は、




以下の映像の9分ほど過ぎると、
文楽人形と黒子の大写しのシーン。
黒子は黒い布を顔前に置き表情を塞ぐ事が多いのですが、
こちらの映像を観ていただくと黒子が演じているときに
しっかりとその黒子の表情が観ることができるのがいい。


目線もわかる。
顔の向きの移動も頭頂のたち方もわかる。
女性役の黒子は、まさに日舞を演じているかのように思える。


人形に動きの生命を与える際に、
黒子のする仕事は多い。
シーンにふさわしい演じ手を担わせるためには、
それこそ手や足や胴や顔の表情、、、それこそ、
動きのすべてにわたり四肢胴体頭に表情までも
バランスよく動きのタイミングを取りながら操らなければならない。


もしも手足や頭がそっぽを向くちぐはぐした感じならば、
「あ〜、気が散るよ」と感情移入などできるわけがない。
小さな関節の向きが不条理系となればもう舞台は台無し。
完成度が高まれば高まるほど、シビアなのです。



そう感じさせない隙のない細やかさ。


それは主役の文楽人形を立てて黒子が文楽人形の声を聴き、
どう動けば生きていくか妥協無く探り気づき続けた伝統で、
今もそれが口伝で教えられているのでしょう。



http://youtu.be/sohO1A0Sq38
文楽曽根崎心中」(4/4) 天神森の段



動きの型をつくり上げるときに、
私は自分の体を俯瞰で見つめるような視点に立つ。


黒子を何体か用意します。
けっして一体だけの黒子ではありません。
そして自分の体を文楽人形のような意識で操作をすることがあります。


これは、自分のイメージの小部屋を脳裏に思い描いていき、
そちらのスクリーンに映しだされたホログラム仕様の体に
どのような操作を加えて動かすかという人形操作そのもの。


そうすることで脊柱起立筋等の背面に位置する抗重力筋群の動きのスイッチを入れることができます。



たとえば、バレエのレッスンのときに、
先生から足はここでこの角度で、胸はこんなかんじで、頭の位置は額がもうちょっと天へ向かいとか、
ひとつの動作姿勢のひとつひとつのパートを切り取って正確な位置を指導するときがあるでしょう。


それが先生の理想としている像の型を具体的な形で先に把握しきれないと、
手や足や胴体や頭などへの指示がバラバラなもののように感じられるもの。


先生が関節可動パーツが多いフィギュア人形でベストスタイルを形作り見せれば、
教えられている方は、迷子にならないのだろうかと思います。


たとえば生徒に、
フィギュアを手渡して、
自分の理想形のアラベスクスタイルを創りださせてみます。


「こんなかんじでしょうか?」とフィギュアのアラベスクスタイル完成後に、
そこで表現された部分の良し悪しを客観視した視点で評価し改善点を伝える。


そうすることにより今までの視点とは違った気づきが生まれ、
文学人形を自分の手が黒子になって操作する感がでてきます。


そのようなことが起こりえるのかもしれません。



先生は生徒の体に姿勢づくりをしやすいようなリボルテックな操作が可能な人形に見立て、
その像にベストな見栄えの良くなる姿勢操作をしておられるのですが、
それは文楽人形を操るにも幾人もの黒子のお世話にならないといけないのと同様なのです。
動きを静止させて位置固定をするものがなければブレブレになったりまとまりが消えたり。


人間の体の関節は、固定したままにするのが難しい技術ですので、
フィギュアの人形のように一度関節を曲げて設定すればその位置にそのままキープが困難。
だからそれだけでもそれをキープさせるための黒子が一体、必要になるのですよね。


精密になればなるほど、黒子は文楽人形から引いた視点の存在で客観眺望しうるのですが、
同時に文楽人形そのものになったかのように自分が日舞を踊る姿を人形に乗り移らせたり、
または人形が舞う姿を感じて自分が合わせて舞いだしているかのようでもある。




そのようなフィーリングの身体操作感で、
動きのセンスを磨くこともできると思う。



それは気づくと実に細やかな身体を四肢末端まで分けた操作がしやすくなりますし、
黒子の存在に身を任せば力みが身体の内側にこもってフリーズすることも減少する。


つまり、自分の体をイメージで作り上げた黒子で操作をさせる感じが身につくとき、
体の裏手にある強力なエンジンとなる太くてたくましい筋肉群が、普通に動き出し、
体の前面にある方向を指示する筋肉群もより無駄なく背面筋の上に乗り作動します。



黒子はたいていは観客に人形の表情を魅せるために、
背面から人形を操作しているのですが、
自分の体をイメージで描き出した黒子に操作させるときは、
まさにこの文楽人形の仕様通りで操作しています。




そうなんですよね〜。


そうやって人形が命があるかのように魅せる努力をすることで芸術になるように、
自分の体の操作もそこまで巧みな操作のできるようになれれば、
生活をおくるのも楽になりますから、体がつらくてという方も、
道は開けていくと言っていいでしょう。