主訴と隠された訴え

主訴とは?
愁訴のうちでも特に強い主な訴えのことです。


「今の体の状態で、どこが一番気になるようですか?」
とおはなしをお聞きしたとすれば。
たとえば慢性的な腰痛が悪化してギックリ腰になってしまったというとき。
すると「ギックリ腰になって左の腰部が焼けるように痛い」と訴えます。
緊急的にここを早く治してほしいんです。


強い希望がある場所です。
主訴を真摯に受け止める。
それも大切なことです。


ならば主訴を着目して解決していけばよいのでしょうか?


ここで簡単な実験をしてみましょう。
数カ所同時に針で刺してみましょう。
針で刺すにしても穴があかない程度にしましょう。


すると痛覚のしっかりしている場所ほど痛みが強く感じます。


同じほどの圧痛が感じられるはずなのに、
場所によって痛みの感覚の差が出てくる。


これは生理的な事実です。


そんな痛みの感じる度合いには、
その場ごとの設定値があります。


その事実を知っているかどうかで、
痛みに対しての理解が違ってくるでしょう。


だから同じ程度の圧で押してみたとしても差が出るのです。
痛覚神経の分布量が少ない場所があり痛みが少なく感じる。
逆に痛覚神経の分布量が多い場所では少しの痛みも激痛に。


私どもはそのことを考慮して主訴をお伺いしています。


主訴の裏側には、
痛みが感じにくい場所にすでに強い炎症を持った部位が生じており、
そちらの状態が悪化して主訴部分に不快感がでてきているというときが多い。
とってもこのようなケースが多いのです。


ギックリ腰はそのような場合の代表格だったりしますから。


激痛の感じている患部に触ることはせずに、
ギックリ腰状態にその場所に牽引緊張させ、
状態を悪くしてしまっている引き金を緩めるようにします。
それで痛みの半分はおさまってしまうことが多くあります。
それにはかなりの即効性を感じられます。


このような引き金になる部分を緩める意識がなければ、
対処法は痛みの強い患部を直接アプローチするような
「泣きっ面に蜂」になることもあります。



隠れた問題部分をどれだけリリースしていくかが大事。


だけど隠れている部分だから、
それを見つけられるような知識や経験が必要です。
そのような鼻がきかなければ見つかりません。


人間の痛覚神経が通っている場であっても
同時に意識に捉えられる痛みがある箇所は
1つや2つ程度です。


仮に10こ程の痛みがある場所があっても、
優先的に手当して欲しい痛みの箇所を脳が見つけ出し、
そちらにスポットライトを当てる。
そのようなスポットライトの数が1つや2つ程度しかないんです。

だから他の8つや9つの優先順位的に次点になっているところは
暗転して痛いかどうかという意識にはあがってこない。
神経的に患部の酸素量が低下するなどで麻痺が進んでいないところなら、
問題箇所に意識を集中するといきなり痛みのスポットライトをそこにあてる。
そうなると先程までは痛みがなかったのに、
隠れていた痛みがいきなり表面に出てくる。


確かに脳が痛みの優先順位を管理していたんだと気づくことになるでしょう。
不思議な現象です。


ただしすでに血中酸素濃度が低下していたり、
循環機能が低下して患部に十分血液が届かないときは、
痛みは麻痺したままなのですが。


そして私どもの施術では多くの時間を、
体の中に隠れている問題箇所のリリースに時間をかけていきます。


ただしこの作業は状況により仕事量が膨大です。
かなり根を詰めると同時に、
施術する側が一挙手一投足をコントロールして、
パワフルな有効打を打ち出し続けなければ先にすすめません。


もともと健康的な人体にはそのような隠れた問題箇所はなかった。


隠された問題がひとつ消えてふたつ消え、
やがてあるべき体に戻ることになります。


そして理想近くまでリリースが進むと、
私も驚くほどのことがおきてしまう。


人間の体ってすばらしいポテンシャルを持っている。
それに陽の目を当てて生きていくことは素晴らしい。
潜在させ続けるのはもったいない。