動きのセンスを語る以前の前提条件

体の使い方を研究していくときに、
もう、それ以上は現状感じ取れないときがあります。


たとえば腕部分を簡単に上げてみると。。。
身体能力的に関節可動域が少なくなっているとき。


●鎖骨部の問題点
・胸鎖関節部分の動きが悪い。
・鎖骨の肩部末端を上下動しない。
・鎖骨の転がしができていないため鎖骨のクランクレバーの器用さが発揮できない。


●肩甲骨部分の問題点
・肩甲骨が肋骨に癒着している。そのためローテートしてくれない。
・肩甲骨の内側は持ち上がる人は多いが、外側が癒着が強くここが浮く感じがつかめていない。
・肩甲骨部分の力の入れる必要性に気づいていない。


●肋骨部の問題点
・胸骨の歪曲している。
・肋軟骨部分が硬くて肋骨全体が硬化して段々ができていて不連続。
・胸郭が問題があればその上に乗る腕部はうまく乗れないため動きがぎこちない。

等々、、、。



このような器質的な問題点と言えるような雰囲気があると、
腕をどう使えばいいのかという詳細な分解教練をしても、
自身で教えられたことを適えられないわけです。


それなのに動き方をお伝えする先生が、
「なんで、あなたはそれができないのかわからないわ!」というのは、
酷なことですね。



だって、現状の身体機能では、器質的に指導されたことを再現できず、
いわれていることを分かり得ない状態。


むりにやってしまえば、動きはごまかしが多くなり変な正確性に欠けるものとなります。
いずれ体のバランスを壊して、
変な動き方の癖を着け取り返しがつかなくなることが多いようです。
前提条件が整わない状態を無理強いしてやらせることは控えるべき。


だから観察眼がある動き方のレクチャーをするものは、
「現時点では、これは難しいだろうが」と前置きをして話すか、
できる範囲内のことのみに話を止めるようになります。
その方の身体状況から遊離しすぎた話を進めすぎると
ストレスがたまってしまうのです。


「なぜ、私はいわれたことが理解できないのだろうか」と、
悔しい思いをするのはツライことですよね。


次へのステップへ進むきっかけとすることもできますが、
相当な強運を持っていなければ前提条件の整わない問題が改善できるものではないのです。
それが現状でしょう。。。


だからステップを先飛ばしすると、
少ししか物理や数学を知らない私に、
数式をバリバリに使って相対性理論の解説していただくようなもの。


楽しくないんですよね。
ちんぷんかんぷんです。


そうなると動きのセンス云々を語ろうとするよりも先に、
身体状況を整えて動けるようにしておいてから動こうよ。
そんな基礎条件を満たしてから学ぶならば、
さほど難易度が高いとは思えないはずです。


ちょっとしたノウハウの伝授でできますから。


この前提条件を覆すことは難しいことですが、
今、私のところへゴルフで80を切るぞと目論む方が、
まさに体が整えられてきて。
今まで得た動きのノウハウを体で適えられたり、
自身の動きのセンスが向上したため動きの発想が豊かになったり。
その方が言われるには、
「高度な動きのノウハウを教えてもらっていた当時の僕ではわからなかったことが、
いま、それがどういったことなのかわかるようになったんですよね」とおっしゃられていました。



つまり動き方のノウハウを伝えるにも、
眼の前にいる方がそれを叶えることができる身体的前提ができているかどうかを観られれば良好。
そこが不特定多数の人が手にすることができる本などでは、
自分自身でその動き方を叶える前提があるかどうかを自分で判断できなければなりません。
もしそれができれば、自分にフィットした良書を手に入れたことになるでしょう。