施術のことではなくて申し訳ありません。
祐天寺。
あの東急東横線の祐天寺の名付けの寺です。
東京近辺にお住まいの方はご存知でしょう。
数日間、その祐天寺まで散歩しています。
目的は、猫の失踪捜査が手詰まりで、どーにも。
手がかりがない。
そのようなときにはどうすればよいのだろうか。
たまたま以前も祐天寺にまで散歩をしたときに、
良いお寺だな、祐天上人のお墓はデカイな〜と、
印象に強く残っていました。
図書館でたまたま不動明王の本を手に取ったら、
祐天上人と不動明王のコラムがありました。
祐天上人が12歳のときに福島県のご実家から
(たまたま私の父親の実家の10キロほどの近所?^-^;)
増上寺に僧になるためにやってまいりましたが。
困ったことに、経文がまったく頭にはいらない。
たいそうひどいもので、指導教官もお手上げで。
僧になるのをあきらめなさいということになり、
紆余曲折し一念発起して不動明王に祈ります。
成田山新勝寺というお寺で、
不動明王に現状を打開していただこうと祈念。
祈願満了の日に不動明王が夢か現かに現れた。
「お前が真剣に祈念しておるのはわかった。
それではこの長短二本の剣がありそれを飲み、
体の中にある悪い血を吐き出せば願いがかなうだろう」
そこで、祐天上人。
「長い剣を飲みます!」
そして祐天上人のことを気にしていた僧が籠もる堂にいくと、
血を吐いた祐天が横たわり、
誰も入ることができないお堂でのこと、
これは不動明王のなされたことと思い、
「どーぞ、命をお救いください!」と。
すると祐天が命を吹き返す。
その後に、経文もすぐに覚える事ができるようになり、
お暇を出されていた増上寺に戻ることができた。
不思議な逸話が残っているものですね。
初めて知りました。
そのコラムを読んで、
「そうか、祐天寺。いこう」
そんな気持ちになり、
図書館から出てすぐさま祐天寺まで歩きました。
残念ですが、夜間ではお墓を参拝する門は締り、
お寺の方にお賽銭をということですごすご帰り。
翌日に、午後6時まで開いているということで、
午後5時40分にいくも閉まっておりました。
しぶとく次の日にも、午後4時に訪れまして。
ようやくお墓でお参りが出来ました。
父が祐天上人の出身地の近所から出身ですし、
当分、参拝を繰り返させていただきますから、
いい導きがいただけないだろうかと。
一度や二度参拝しても、忙しいことでしょう。
祐天寺には多くの参拝者がきますから、
願いを聞いていただくには、
真剣に目立つことです。
顔を覚えてもらえるぐらい、
そこに足を運ぶことです。
祐天寺まで、
歩いてみると50分弱ほど実質かかりますが、
祐天寺から帰り道に、目黒不動によって帰宅。
そうすると、最近デスクワークが祟っていて、
体力が減少していくところがあって。
地道にデモワークをして研究もしているが、
そのデモでもきつく感じ始めるほどだった。
胸椎上部の位置がデスクワークをし続けて
狂ってきてしまうようなのです。
デスクワークによる肺経のダメージは深刻。
身を持って感じました。
それも、完全にリセットされました。 ^-^)
そして祐天上人のお寺の祐天寺は浄土宗という宗派。
私は、どの宗派が好きでというわけだと分けず、
節操無く学ぶようにしていたと思っていたのですが。
浄土宗を学ぶ機会はありませんでした。
今回も、別段、学んできたわけではありませんが、
仁王門の脇に「南無阿彌陀佛(祐天)」という石碑があります。
じーっとこの石碑を観ていると、
以前にきたときも彫り込まれて凹んでいるはずが、
時間帯によって日の加減で凸のように浮かび上がってみえてた。
そのことを思い出して、そうなるまで、ずっと待っていました。
そこでお茶を飲み、セブンイレブンのさくさくポッキーを食べ、 ^-^;)
ゆっくりしていたときに。
「極楽浄土にいる立ち位置から、はじめなさい」
そのような心持ちで望むことが大事ですと。
そんなことをいわれたような気がしました。
猫の失踪で最悪の事を考えると不安だから、
今の自分は、じたばたしているわけです。
ただ、今の猫の捜索だけではなく、
生活全般や仕事を研究するときにでも、
とにかくいつでも必死で目をパッと見開いて、
生きづらい生き方をしているといわれている。
誇張して言えば
まるで修羅がゆくがごとくですから、
それではまわりにいる人も呆れます。
そういう姿勢が必要な時もあります。
ずっと極楽浄土にいるつもりでいて、
のほほ〜んとしては、私は動かない。
怠け者ですから。
ですがある程度のところまで進めば、
「極楽浄土にいる立ち位置から、考えはじめなさい。動きはじめなさい」
という心持ちでいたほうがいいのでしょう。
そのほうが周囲の人も気が休まります。
そういった時期がきたら、
変わってもいいのでは?
もしも、何らかセミナーのようなものを開催するにも、
楽しいからまた遊びに行こうというのは、
幸せを感じたままの講師がいてくれると、
そういう気にもなりますよね。
私が「自分が幸せでいるから、目の前の方々もそうであるはず」と信じて、
そこから語り始めればストレスフルからストレスフリーになって開放され、
話をする第一声もやりやすくもなることでしょう。
先日、知人の女性にお世話になりタロットカードリーディングを受けました。
「あなたはセミナーやろうとしてますよね〜」と言われました。
ズバリ、セミナー開催カードというものがあるんですね。
ぐぅの音も出ませんでした。 ^-^;
よく、当たるものなんですね。
関心しました。
もともと肉体労働系は不向きで非力な私です。
自覚があります。
頭をつかうことで貢献できるようになりたい。
そちらのほうが向いているのだろうと思うが、
筋肉と脈との関係を熟知するには自分で観る。
そうするすべを持たなければ話にならないし。
ということで苦手だとか言ってられず、
やってまいりました。
そこが見えたら、
本来の自分の向いているところに、落とし所を向けたほうが、
成果はそちらのほうがあがるのではないだろうかと思います。
そこで、、、なんらかの、セミナーのようなものをしてみて。
ささやかなもので、いいんです。
画期的な内容であれば。
でも、伝えられる側が、
嫌な気分にならないようでいなければ、
記憶に細々としたことが残らなくても、
好印象という成果が残れば上々ですし。
でも、今までの自分がこれだけ頑張ってるんだから、
あなた方も頑張って成果を得ていかねば損だからと。
一見正当な言葉でも、どこか脅迫めいた響きもあり、
今のままでは、身内に説明するのにも嫌がれるなと。
そこで困り果てていたところでした。
そんなときの、ことです。
肩の力が一気に抜けます。
背中の張った感じ、
重くのしかかったこなきじじいが一人のいてくれた。
そんな体の感覚を得ることが出来ました。
このように思えたのも「猫の恩返し」ですね。
これからまた、祐天寺にいってまいります。