繰り返し練習の意義


剣の素振り、バットの素振り、太極拳套路、武術の形稽古、
バレエの基本の1番から5番までとかその他のアラベスクなど形なども。
いろいろと繰り返し練習することってありますよね。



たとえば剣の素振りをするときには、
数年振らせてみて、ものになるかどうかを師範がみていき篩にかけるものと聞いています。


師範に認められるものとは、
外見では同じ動作を繰り返しているように見えていても、
一回ごとの素振りに課題が設定してありまして、
工夫を加えたアイデアを実施して具合を確かめ、
体の内部感覚が詰まりや違和感がないかをみる。


良し悪しや特徴を観て使い物になるかを判断し、
使えそうだったりひと工夫すればいけそうなら
次の一振りで工夫を加え実験をしてみる。


そういったことの積み重ねなのですね。


誰かに教えられないとできない待ちの姿勢では目が無い。
私が思う師とは、個人の創意工夫を尊重し、
軌道がそれていれば修正するアドバイスをする。
そのときに今まで得られた技術もつたえていく。
それをもとに個人主体の繰り返される研鑽にて、
技芸も新たな深みへと進化させる人材ができる。


そんな後継者が欲しいという度量の広い師匠は
しっかりそのような芽を伸ばすようにしますし、
そんな後継者が自分に取って代わると怖がる度量の狭い師匠は
しっかりそのような芽が出れば積んで自分が一番でいつづけようとします。^-^;





無心で振り込むということも大切かもしれませんが、
もし不出来な振り方をよしとして繰り返しすぶれば、
その不出来な振り方が身にしみて覚えこまれます。


そのような悪い振りを修正することは、
大変に困難。


よほどの努力がなければ自らが獲得した悪癖がある動きに問題ありという感覚が持てません。
どこに悪い問題点があるのかという内部感覚が抜け落ちている。
後付で、その内部感覚を補うような訓練が必要となります。
そのような作業を指導してくれる先生は多くないでしょう。


何かの技芸を身につけるときには、
最初によい師を見つけることができれば吉。


師がなければ自らの一振りのうちに込めた工夫を師匠とする。


私も施術をするときも、形を工夫しています。


寸分たがわぬような体の使い方を工夫して、
同じ動作を繰り返すことも大切です。
圧のかけ方がバラバラで一定でなければ、
目的の圧がえられることはないでしょう。


ただ同じ動作を同じようにしてみせても、
その内側では必ず創意工夫を込め変える。


そんな習慣を持っている人は、
微妙に常に化け続けています。
そのような変化が蓄積されて、
いつか大化けするのでしょう。