施術には触覚が大切です

昨日、なにげなく放送大学のメディア論のような番組を見ていて。

触覚ワークショップという試みをしていた。


教室に多くの参加者。
着席している。


アイマスクをつける。


そして起立して左へ2歩。
アイマスクをつけて視力を失われている。
だからこわごわとしながら動き出す。


それをひとしきりしてみた後。


今度はまだアイマスクをつけたままで、
画用紙のような紙とはさみとノリを渡され、
自分の顔を作ってみなさいといわれた。


必至に自分の顔を手さぐりしていく。


その過程で徐々に目に見えなかった状況に慣れだしたものも出てきた。
視覚を閉ざされて触覚に頼ろうとする。
視覚の影響の強さを少しずつ触覚にも
外部情報を得るための感覚器官として
重きを置けるようになってきたのです。


ある程度ならば、目を使わなくともイメージ力と手先の感覚でわかる。


それは数時間での触覚ワークショップの時間内でおこったこと。


実際のところ手先の触った感覚は、
視覚ではどんなにものを立体視しようとしても、
平面的な液晶パネルで観たような映像としてしか情報を得られない。
二次元的な情報のキャッチだ。


それが触覚では手先がそのものを触り奥行き情報も、
脳に伝えてくれる。


情報の質が違ってくるのです。


そして手先とは感度をよくするように発達させれば
ミクロ単位の凹凸まで読み取れる精密さを持ちます。
視覚ではそのような凹凸まで見分けられないはずだ。


そう考えてみると、
触覚のような原始的な単細胞生物さえも持っている
シンプルな感覚器官を鋭敏にさせることが出来れば
どんなに外界からえられる情報量が増えるだろう。



私はこのような触覚ワークショップについては、
センサリーアウェアネスという本で知っていた。


施術中に、「鈴木さんはしこりになっているところを指で触って分かるんですか?」
と質問されることがあるのですが、
その通りなんです。


たいていは眼でみるよりも手で触れて感じ取る。
形状や深さや硬さや温度や湿り気や周囲との関連性や。。。
その他多くの情報は視覚から入ってくるものではない。
体の内側の奥に仕舞い込んでいるもので、
ときにはピンポン玉のような大きさですし
ときには米粒の1/10程度の小ささです。


それは眼で観てわかるようなものではなく
指先の触覚でわかる世界。


意識を集中すれば、
ミリ単位の異物感がある部位も、
数メートルの大きさを持つもののように感じられて
詳細にその大きく感じられるものを観察できていく。


おそらくこのようなところが施術の一般書などでは
言葉で書いても言い尽くせない部分になるのですね。


慣れてくると、ものを持つその手の先に、
あたった先のものがリアルに感じられる。
自分の手の延長ができるようになります。


いかに手先が感じて手先が考えるか。
不思議と頭で考えるよりも、
一瞬先に手先が動き出して、
その後に頭がその手先が動いた理由付けをすることがあります。
得てしてそのようなことをしていて、
結果が良好なことがほとんどです。


まるで指先と脳が直結していて、
指が考えているのではないか?
そんなことを思えてくることもあります。



そうなってくると、
使い勝手のいい手になってきたなと思います。



ただ手先を信じすぎて反射的に動きすぎると、
楽ちんではありますが、
それ以上の概念を取り込んで創造性を再構築させて発展させるようなことが
そこで止まるときがあるので注意も必要です。



だから私などは、施術をしている先生の手を、指を見させて触らせていただいて、
微妙にこの先生はすごいぞとビビってくることもあります。
逆にすごい先生だといわれている方のはずだがと不思議に思うこともあります。
いろいろな施術方法があるから、指先の感度をさほど鋭敏にしなくとも
成り立つものもありますのでそういう技術を得意にしているのでしょう。


ただ私としてはビビってくる先生に惹かれますね〜。^-^)