詳細は伏せますが、
先日、お客様が気功を習われていたと教えていただきました。
貴重な情報を教えて頂きまして、感謝いたしております。
がんを患ったとき、それを医師に宣告されたとき。
大きなショックです。
そのような宣告を受けた闘病の際に、
気功をなさった方がおられるそうです。
昨今では昔は怪しいとされていた気功も、
多くの書籍やカルチャーセンターなどで
触れ入門するのも容易になって来ました。
なかでも医師が積極的に取り上げているのが
療法人 直心会 帯津三敬病院の帯津良一先生。
がん患者に対しての気功の実践で知られています。
私も帯津良一先生の著書は多数読んでおります。
そしてお客様の同僚のとある方が、
がんを患われ帯津良一先生の病院にてお世話になりました。
帯津良一先生や鵜沼宏樹先生の気功のプログラムに則って
取り組みましたことも功を奏し病状を回復なされ職場復帰。
復帰後にその方が率先して職場で、
気功に関心の高い同好の士を集め、
お昼に会議室を借り指導されたそうです。
気功の高い効果と効能が、あるかどうか。
気功の本を、好きで手にとって購入してみたものの、
いま一歩、気功について体感できないようでしたら。
そういったところで気功を実践するかどうかの話が頓挫することもありますよね。
ですが指導するものが
実際にがんを患われて克服なさた方なのですから。
この同僚の気功には何かあるぞと強烈な説得力と期待感がありましょう。
彼の経験や存在自体が、
それを証明してくれているようなものです。
気功に関心をもち健康増進を図る者達としては、
職場の同僚に指導を受けられて素晴らしい環境です。
私は若いときには、
精神世界に詳しい人達が周りにいたので、
そのような人達の気の感性は高く共鳴し、
通常と異なる密度の磁場空間ができる幾度もの体験をしました。
強い気を持つものが集まると気が満ちたような場所になります。
気の合うものが集まるほうが気場が強まるのです。
一人で気功の修練をつむよりも、効率的に働くことがあります。
そのような条件から、
同好の士を集ったお昼の会議室での気功の修練はすばらしいことですね。
私どものお客様は、
今は気功を指導していただけた同僚が転勤し、
お昼の会議室気功教室は卒業なされました。
ですがそのときに感じ取れた皮膚感覚で気を捉えた経験は貴重です。
その後の、自分の肉体を捉えるときの視点や視野を格段に深めます。
それが有りや無しやで、自然エネルギーのほとばしりが体内を走り、
それで満たされた状態が幸せの体感に通じると気づき差が出てくる。
あると気づいているものは、
それの養い方や制御法をも
意識できるようになります。
ツボ療法のとき、
ツボを見つけるための取穴部位の探知にも欠かせない。
その他にもいろいろなものに
気が流れていますから、
そのような尾をつかめるようになるのかもしれません。
景気の動向も人の気の流れのひとつなんでしょうから。
ただし、
あまりに気場に深くたむろすることがあれば、
魔境に入るなよと禅道を歩むものに指摘され、
バランス感覚を取り戻していくようなことも。
何事も足元を固め地道にいかねばなりません。
気の力が強いもののほうが
その取扱に注意していくとよいのです。
天狗にならないことが求められるのですよね。
たとえば強い気が発せられる能力があっても
そんなものはないといっておいたほうがいい。
言わなくてもわかる者同士ではわかりますよ。
気の合うもの同士が、微笑めればそれで十分。^-^
残念ながら、
気功ですべての方々のがんが回復するわけではないのです。
ただ死亡原因のひとつにがんがありますので、
気功を実践してこのような活動をなさっておられる方がいるということを知ることは、
気功がいざというときの希望になるかもしれません。
いざというときがないことを願いますが、
お金をかけずに自分を高めてくれるものとして、
日頃から簡単な気功のトレーニングをしてみる。
そんな生活習慣を取り入れるのもいいですよね。
そんなことを思った次第です。
最後に蛇足となります。^-^;
私のようなものが施術をするときも、
気をアプローチポイントを見つける
補助として使うことができるのです。
ただし意図的に私は気感に頼りすぎないようにしまてます。
日々の体調の上がり下がりや感情の具合で、
気感は鋭くなったり鈍ったりしますから。
それでは臨床で使いものにならない。
絶対に見分けることができるような
検査や見分けがあってこそ成果が一様にでると考えるからです。
紛れもないチェック方法を知識として蓄えることの大事さについては、
実際に気を使いこなせるほどの力を備えたものの中にも力説する人も。
それは各人の見解でわかれるところですが、
検査法を熟知する上で、
人を詳しく見分ける言葉が巧みになり検索語が頭に上るようになる。
そうした勉強をつむことでイメージがつかみやすくなり
言葉で説明をできるようにもなるためいいのだ、という。